第15話(side story 12)


 思いもよらない純子からの宿題に勇利は頭を悩ませていた。どうでもよい客の戯言ならば放置しているところだが、自分にとっても店にとっても上得意の顧客であり、手放す訳にはいかない。同僚に聞いたところで、金、物、女、と返ってくるのが目に見えおり最初からあてにしていない。唯一信頼できるオーナーの神取翔(かんどりしょう)ですら、自身で答えを出すしかないと言う。
 翔の言う通り、純子は自分自身の答えを待っており、ありきたりな回答を求めているとは思えない。これまでのやり取りから考えてみても純子は聡明で、決してハメを外したりもしなかった。勇利が出会ってきた女性の中でもかなりの大人であり、そんな純子からの宿題は簡単なものではないと実感する。
 思い悩みながらも店内での接客は完璧にこなし人気に陰りはない。そこへ新規の客からの指名が入ったと聞き、素早くテーブルへ向かう。女性の前に来るといつものように挨拶をする。
「ご指名ありがとうございます、クラブ聖夜の優星です」
 綺麗なピンク色のドレスを着た女性は挨拶を返す。
「こんばんは、勇利君」
 初めての客から本名を言われドキリとし着飾った女性を凝視すると、そこには真紀が座っている。化粧盛り盛りで前回会ったときよりもずっと綺麗に見える。周りの客やヘルプの手前、勇利はプロとして冷静に対応する。
「はじめまして、綺麗なドレスをお召ですね」
「どうもありがとう。優星君も素敵なスーツ姿ね」
「ありがとうございます」
「早速だけどピンドン入れてもらえるかしら?」
「ピンドンですね。ありがとうございます」
 注文のピンドンを陸斗が持ってくると、ヘルプを全員下げさせて二人きりの空間を作る。グラスにドンペリを注ぎながら勇利は丁寧に切り出す。
「話し掛けない約束でしたよね? 何のつもりですか?」
 店内で接客ということもあり、声を荒げる訳にはいかず声のトーンを落とし訊ねる。
「それは道ですれ違った場合でしょ? ここは店内で私は客。それに言われはしたけど、約束まではしてないわ」
「そうですか、ただ店内だから何を言っても大丈夫とか思わないで下さいね。我慢にも限度がありますし、僕自身全てがどうなってもいいなんて破滅的考えをすることもある。失う物が何もない人間って何するか分からないですよ」
 笑顔でそう言う勇利だが目は全く笑っておらず、瞳の奥には喫茶店で見せたような殺気を孕んでいる。旗色が悪いと見ると、真紀は観念したように息を吐く。
「言い過ぎたわ。前回だってもともと貴方を責めるつもりで話し掛けた訳じゃないし。純粋に貴方が心配だったから声を掛けた。貴方の人生を狂わせたのは私だしね」
「貴女のことは恨んでませんよ。もともとは俺自身の撒いた種が原因だから」
「その種を咲かせてしまった原因は私にあるでしょ?」
「そう思いたければ思えばいい。俺には関係のないことだ」
 真紀とは一切目を合わさず、グラスのドンペリを見つめる。その姿からは哀愁や悲壮感が溢れており、真紀の心をギュッと締め付ける。
「聞いてもいいかな?」
「質問にもよる、かな」
「うん、勇利君はいつまでこの仕事をするつもり?」
 思ってもみなかった普通の質問に勇利はホッとする。
「分からない。生きて行く為に、金にためにしばらくは続けるけど。そういう先輩はいつからキャバ嬢を?」
「真紀って呼んで。私は、高校卒業して直ぐに家を出てだから二カ月くらい前からね」
「あれ? 確か成績良かったですよね? なぜ進学しなかったんですか?」
「罪悪感からかな。えっと……、半年前勇利君が学校を辞めて、私の人生も大きく変わったのよ」
 弥や事件という単語を避けて真紀は話し、勇利もその気遣いを察する。
「確か喫茶店で、自分も苦しんでるって言ってましたよね? 良ければ聞きますよ。今はそれが仕事ですから」
 心からなのか営業なのか分からないが、見せるその笑顔に真紀はホッとする。
「ありがとう。さっきも言ったように私のせいでたくさんの人の人生を狂わせてしまった。そういう想いが自分を責めて受験どころじゃなくなったの。そして、極めつけが奈々絵さんの自殺。私は自分自身が嫌になって、全てを変えたくて水商売の世界に入った。それでも、勇利君へしたことへの慙愧の念は消えなくてずっと悶々としてたわ。そんな中、先週勇利君を見つけたって感じ」
「なるほど、なら安心して下さい。本当に真紀さんを恨んでなんかいませんから。一番憎い相手は自分自身ですよ。ホント、殺してやりたいくらいに。身勝手な行いでたくさんの人を傷つけ、大切な人を守れもしなかった。生きてる価値のない屑だ」
「勇利君……」
「正直この世から消えてしまえば楽になるのにって思うこともありますよ。でも、そんな生温いことも許せない。俺はもっともっと現世で苦しんで罰を受けて死んでいかなきゃならない人間なんだ」
 弥を失ってからずっと自分自身を責め続けて追い込んでいた事実を知り、真紀の瞳には涙が溢れる。自分の罪を許してくれたこと以上に、ここまで勇利を追い込んでしまった悲しさとその痛みを想像すると心が破裂しそうな程の動悸が走る。気がつくと真紀は勇利を正面から抱きしめており、頭を両手で抱きかかえるように包み込んでいた。
「ちょ、ちょっと真紀さん? こういうのは禁止ですよ?」
 困り顔ながらも冷静に言うが、次に放った真紀の言葉で雷に打たれたような衝撃を受けた。
「貴方の痛みと悲しみ、罪も全て私が引き受ける。だから、貴方は立派な教師になって」