「は?」
「え…えっと、」

定期テストに向けて勉強をしているさなか。書いている手を止めて、私の言葉に不意をつかれた松岡君が、きょとん、と一瞬目を丸くさせた後、意味が分からないというような表情を浮かべ私を見た。今しがた、意識はしていなかったものの、つい言ってしまった言葉に私は今酷く後悔していた。なんでもない、と誤魔化す他なく、しどろもどろになりながらそう言う。何だか照れくさいような気持になって、松岡君から視線を逸らした。

「何だよ、いきなり」
「あは…いや、ちょっと…」

私とは時間差で顔を赤く染めた松岡君。気まずい沈黙が走って、すぐに居たたまれない気持ちになった。この空気を作ったのはまさに私なのだが、ごめんと謝ればいいのかなんちゃって、と誤魔化せばいいのか、とりあえず私自身も焦っているためにこの場を切り抜けるうまい方法が思いつかなかった。

「すみません何でもないです」
「お…おう…?」
「寝言でした。ほんとごめん」

忘れてください、と言う声はとても小さかった。恥ずかしくて俯いた顔をあげる事が出来ない。松岡君もどこか気まずいのか、いつもとは違って、これまた羞恥心からか消えていくような声で返事をした。再び沈黙が走る。あー、何で私あんなこと言っちゃったんだろう。今頃後悔するけど、さっきの言葉を取り消すことなどできる訳もなく。松岡君からしたら、勉強している最中に口を開いたかと思ったら、なんで何の脈絡もなく私がそんなことを言ったのか、って疑問に思う事ばかりだと思う。うっかりしていたのだ。久しぶりに松岡君とデート…っていっても、テスト期間だから勉強会だけど。それでも二人だけで一緒に時間を過ごすのはとても久しぶりだし、第一ここは松岡君の部屋なのである。松岡君からしたらいつも過ごしている部屋に私が混じっただけだけど、私にとってそれはとても大きな理由になる。松岡君といるだけでどきどき半端ないのに、松岡君の部屋って、部屋って…!図書館でする予定だったけど、今はどこの学校もテスト期間らしく図書館は学生らしき人で溢れかえっていて、机も全部使用されていた。どうしようかと悩みに悩んだ末、松岡君が「おれの家くるか?」って言ってくれたんだけど。松岡君は多分何も考えずに、単純に親切心とかから言ってくれたんだと思うけど。なんていうか…本当、緊張した。一緒に勉強しようって誘ったのは私だけど、勉強なんてはかどるはずは無かった。むしろシャーペンを握ってノートを見ているだけで、頭ではずっと松岡君のことを考えていたのだ。

「…てかよ」
「は、はい!」
「いや…お前さっきからひとつも進んでねーだろ」

まさにその通り、全然ひとつも進んでいません。その言葉に頷く事も出来ず、

「ちょっと、考え事してて…」

とかありきたりでベタな返事しかできなかった。考え事とは、まさに松岡君の事なんだけど。詳しく松岡君の何かについて考えてたんじゃなくて、漠然と松岡君のことを思っていたのだ。部屋に来て、意識しちゃって。そうしてたら、私って松岡君の事本当に大好きだ、なんて思い始めて。思考が進んで、そしてさっきそれを思わず声に出してしまった。ペンが進んでいないのはそのせいなんだけど、うん、言えない。そこで、下を向いていたせいで見えたものにはっとする。松岡君はひとつも進んでないって言ったけど、でも。

「松岡君も、あんまり進んでないね」

ほぼ真っ白のノート。少し文字が並んでいるけど、ここに居た時間と比較してみれば、私は全然人の事言えないんだけど、全く勉強がはかどっていないように見える。松岡君は成績は正直良いとは言えないし…もしかしたら、分からないのかなあ。

「あー…まあ」
「分からないの?」
「違げーよ!…いや、それもあるけど」

シャーペンを置いて、松岡君は後ろにあるソファにもたれかかった。ちらっと松岡君を見てみると、がしがしと頭をかいている。違うのにそれもあるって、言ってる事めちゃくちゃだよって少し笑いそうになった。盗み見ていただけのはずだったのに、いつの間にか見つめすぎていたのだろうか。ふと目があって、松岡君が動きを止めた。私もそれにつられて体が固まってしまう。じっと見つめられるせいで、鼓動がだんだんとスピードをあげていく。何でか分からないけど、目がそらせなかった。

「美香、来い」
「え?」
「ここ」

松岡君が私を見たまま、ぽんぽんと自分の隣に手を置きながらそう言った。ドキンとしたけど来いと言われてはいかない訳にはいかない。ドキドキしながら松岡君の隣にいって、そっと座る。いつもは感じない松岡君の匂いとか、すぐ隣に存在を感じる事とか、なんだか、隣に座るだけで嬉しくなった。

「あー…落ち着く」
「わ、松岡くん…!」

隣に座った途端、とさり、と私の体に軽く体重がかかった。長い腕が肩に回されて、松岡君の体温が直に触れる。抱きしめるとかじゃなくて、肩を組んでもたれかかっていると言った方が正しい。それでも、いきなりの事に驚くなと言う方が無理な話だった。松岡君の恋人としての経験値があまりにも少なすぎる私にとって強い刺激だった。ドクドクとさっきよりも心臓がうるさかった。だけど、体がこわばる事は無かった。松岡君が落ち着くって言ってくれたみたいに、私も松岡君に触れたことでとても落ち着いて、安心したから。

「やっぱ無理。勉強とか進まねー」
「わたし、も」
「…あのなぁ、おれは勉強が分からんとかそういう意味で言ってんじゃねーよ」

触れる肩があつい。そこからから体温があがっていく感覚に、また心拍数が上がる。松岡君の声を聞き取りながら、何とか自分を落ち着かせようと必死だった。そう言う意味じゃない、とは。一体どういう意味で言われた言葉なのか。考えてみるけど、よく分からなかった。

「私のこと好き?とかいきなり言うし」
「ごっ…ごめん…ほんと、それは…」

ぽろっと出てしまった言葉をもう一度松岡君に言われて、さっきの気持ちが蘇ってきて一気に恥ずかしくなった。折角忘れかけてたのに、またぶり返すような事…!

「好きじゃない訳ねぇだろーがバカ」
「え…!」

その言葉に、咄嗟に松岡君の方に首を動かした。会いている方の手で口元を押さえながらあっちに顔を向けている。だけど、耳が赤みを帯びているのが私にはちゃんと見えていた。松岡君の一言に、一気に顔に熱が昇る。そしてそれと同時に、心の中からわき上がってくるとても甘い感覚。ドキドキして仕方なくて、何も言う事が出来なかった。じゃねーと付き合わねーよ、と松岡君がまた言葉を続けて、またドクンと心臓が音を鳴らした。

「だいたい!」
「は、はい…っ!」
「お前がいんのに勉強しろとか」
「…はい?」
「マジ、無理」

多分、それは松岡君の精一杯の照れ隠し。松岡君はこっちを見ないまま、だけど私の肩に回っている手が少しだけ強い力で私を拘束した。緩む口元は、仕方なく。ドキドキだけじゃなくて、ただただすごく嬉しくて。緩みきった顔を正す事もせず、松岡君にもうちょっとだけ触れたくなって、今度は私が寄りかかった。温かい体温に包まれているように感じて、心臓がうるさいはずなのに、不思議とすごく安心した。