水が、怖いのだ。
あれだけ水泳を愛し、水の中が生きがいだと感じていたのにも関わらず、水が怖いなんて。
笑いさえも出てこない。
水面を眺めるだけで、あの時の恐怖が蘇ってきて、水に入れば水が私を深く深く連れ込んで、閉じ込めて一生出られないようにするんじゃないか、そんな思いが浮上するのだ。
重症だと、自分でも思う。




「……っっ!」




終いには吐き気をもよおす始末。
急いで近場にある洗面台に手をついて、腹からあがって来た異物を吐き出す。
酷い、酷すぎる。
湧き上がってくる物に必死で耐えながらも、頭には水面がちらついて仕方ない。




「大丈夫、ゆっくり呼吸して。蒼乃ちゃん」




後ろから川上が背中を優しく撫でてくれる。
暖かい感触を感じながら、“ゆっくり呼吸すること”に集中をする。
吸って吐いて、吸って吐いて。
繰り返していくうちに呼吸は静まり、嘔吐の気配も消えていく。
怖い、怖いのだ。
ただひたすらに水面が恐ろしく、あの映像がフラッシュバックしては私から泳ぐ気力を奪い去っていく。
……愛していた場所を愛せなくなっている。




「……泳げ、なくなるんでしょうか」




川上が蛇口を捻り、水を流すのを見つめながら呟く。




「……あそこ、あたしの生きる場所なんです。生きる理由なんです」




頼りなく口からこぼれたのは紛れもない弱音だった。