俺はゆかり食堂の前で深呼吸する。
生ぬるい風が頬を撫で、暖簾をほのかに揺らした。
「ばんはー…」
ガラッと扉を開けた瞬間、
「け~ん~ご~!」
「うっ」
望乃の甲高い声が耳をついた。
今回の一連の出来事は、誰にも知られないまま、
全部夢だったってことにして、忘れてしまおうと思っていたのに、
あの朝の光景を望乃に見られた。
それだけが失敗だった。
俺はいつものように望乃と輪の隣の席に腰を下ろした。
「健ちゃん、何か分かんないけど望乃ちゃんご立腹みたいよ。何にする?」
「すいません、うるさくて…。えーと、じゃあ…それ、輪が食べてる奴、何?」
「竜田揚げ」
輪が口をもごもごしながら答えた。
「じゃあそれ」
ゆかりさんが「はいよ」と笑って、暖簾の向こうへ消えた。
望乃が椅子ごと俺に一歩近づいた。
俺はじりじりと体をよけ、お冷に口をつけた。


