健一は、華代に言われたことを思い出した。


『あの子には忘れられない人がいる』


―――そうやった・・・。こいつには、好きな奴がいるんや。


「忘れられへん奴がいてるんやろ?」


とても、杏子の目を見てなんて言えなかった。


「なんでそのことを・・・」


声だけで杏子が動揺しているのがわかった。

健一は、大きく息を吐き、杏子の目を見た。


「桜木さんに聞いた」


「華代ちゃん・・・?」


放心状態の杏子の目からは、一筋の涙が流れていた。


「なぁ・・・泣くほどそいつが好きなんか?」


そんなことを聞いたら健一自身が傷つくし、杏子も傷つけるかもしれないが、健一は聞かずにはいられなかった。


「・・・・・・好き」


杏子から発せられた『好き』という言葉が自分に向けられているものでないのが健一は悔しくてたまらなかった。


杏子の表情から、今までこの気持ちを我慢していたことが手に取るようにわかった。

そして、健一の前でも口をキュッと結んで、杏子何かを我慢しているようだった。


「今、どこにいるん?」


健一は、自分でも驚く程冷静に聞いていた。


「わからん・・・」


「それなら、俺がそいつのことを忘れさせてやるよ・・・」


そう言うと、健一は杏子の頭を軽く撫でた。

その瞬間、杏子は我慢していた感情が溢れるように涙を流した。

健一は、弱っている杏子を目の前にして、抱きしめてやりたかったが、自分がそんなことをしてはいけないと傘を持つ手に力を入れた。



「行こうか・・・」


杏子の涙が落ち着いたところで声を掛けて、ゆっくりと駅へと続くの道を進み出した。




「じゃあ、これ」
駅に着くと、健一は閉じた傘を杏子に渡した。

「タオルは・・・?」

杏子はタオルも受け取ろうとしたが、「洗って返すよ」と言い、健一は渡さなかった。


「そう」

頷く杏子に健一は、言っておきたいことがあった。


「なぁ・・・俺、お前が俺のことを見てくれるまで頑張るから」


「・・・・・・」


杏子は返事はしなかった。健一は、それでもよかった。


二人は、駅で別れ、それぞれ違う電車に乗った。


「ふぅ・・・言ってしまった」


告白なんてするつもりなかったが、杏子の前だと余裕がなくなる自分の姿を思い出し、健一は笑顔になった。

そして、電車の窓に映る自分の顔を見て、『ふっ』と笑った。


―――いい顔してるやん。


健一は、久しぶりに見た自分の笑顔に自画自賛していた。