ミーン、ミーン…

あぁー暑い。

蝉の鳴き声がすっごくうっとうしい…

あの着付けの人、着物の帯キツく締めすぎでしょ

窒息しそうなんだけど…

てか、まだ話し終わらないの?

そろそろ足も痺れてきたし。本当最悪。

「では、その方向性でお願いします」

やっと終わった

「いやー、それにしても噂どおり美しいお嬢さんですねー」

おいおい。ニヤニヤしすぎでしょ、下心丸見えですけど?

「ありがとうございます。」

お決まりの愛想笑いで流す

「わしの息子に嫁ぎませんかね?ハッハハ‼︎」

嫁がねーよクソじじいが‼︎

でも、そんなことが言えるわけもなくこの場合は

「嬉しいお言葉ありがとうございます。前向きに検討します」

まるで決まり台詞かのように微笑みながら言う

そうすればほら

「楽しみにしとくよ‼︎
真田さんアンタはいい娘をお持ちだ
今後も良好な付き合いを頼むよ‼︎」

本当、人って単純な生き物

「それでは失礼します」

父の後について部屋を出る

ふぅ。これで私の仕事は終わり

毎回、父は会談や大事な取り引きをする時は娘兼秘書として私を付き添わせる

母が亡くなる前は母がこの仕事をしてた

母が居なくなった今、それは私の仕事

母は重い病気を患っていて私を産むのも命懸けだったみたい

私を産んだ後、病状は悪化し長くても3年しか生きられないと医者に告げられた

その事実を知った父はその時まだ3歳だった私に徹底的な英才教育を受けさせた

その時から私の人生は決められていたのかもしれない

だけどその頃はそんな生き方に疑問も感じなかったし、むしろ普通だと思ってたそうあるべきなんだと思ってた

幼稚園は有名私立幼稚園に通った

友達を作るのは得意じゃなかったけどそれなりに友達は出来た

いつも大人達に囲まれていた私にとって幼稚園は新鮮でとても楽しかった

帰って友達と遊ぶなんてことは出来なかったけど辛いだなんて思ったことなかった

外出は基本禁止だった。
けど母の見舞いだけは許された

私にとって母の見舞いは唯一なにも飾らないありのままの自分でいれる時間。

今日はどんな勉強をしたとか友達と喧嘩したとか、そんなたわいもないことを話してた

母はいつも優しい眼差しで私を見てくれていて私はそれが嬉しかった

父は仕事で忙しいから相手にしてくれない。同じ家に住んでいても会うことなんて滅多になかった

だから母の眼差しが母の温もりが嬉しくてそれが私の励みだったのかもしれない

どんなに稽古が厳しくても

たった1人で居る時間が辛く寂しくても

母が居てくれる。

母だけが私を見てくれる。味方でいてくれる。

そう思っていた。

今でも母の温もりが恋しくなる。

不安な時、誰かに抱きしめて欲しいと思う時がある

もう子供じゃないんだから1人で何とかしないとね

分かってるんだけど心は温もりを探してるみたい

そんな温もりにもう一度触れることなんて出来やしないのに