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動物病院でのあのやり取りの後、虎谷先生は私にふと目線を移した後、ぺこっと軽く頭を下げてそのまま診察室へ入っていった。
それに対して西岡さんは私へ寄って来てくれて、「お騒がせしてごめんなさいね」といつもの笑顔を向けて言葉を掛けてくれた。
何があったかなんて私には聞く権利はなく、あの場では「大丈夫ですよ」と笑顔で答えることしかできなかった。
その後コタロウのご飯を買った私はそのまま家に戻ることはせず、柚ヶ丘公園まで足を運んでいた。
こんなどんよりとした気持ちを抱えたまま家には帰りたくない。
気持ちの整理をしてから、コタロウの待つ家に帰りたいと思ったのだ。
私は公園で一番大きな木の下にあるベンチに座り、木の緑とその隙間から覗く水色の空と流れていく白い雲をぼんやりと見ていた。
……驚いた。虎谷先生があんなに取り乱すなんて……。
鮮明に思い出してしまう先生の怒った表情。
そして、辛そうな表情。
いつもの冷静さをなくしてしまうくらいに、きっと先生はあの男性に怒りを感じていたんだと思う。
『安楽死』なんて言葉を放つ、男性のことを。
はぁ、とため息が出て俯いた時、ふと手のひらを見ると爪のあとがついていることに気付いた。
きっとさっき思わず拳を握りしめていた時についたのだろう。
仕事柄、そしてコタロウがいるからと短く切っているはずの爪が食い込むほどに私は拳を握り締めてしまっていたらしい。
『死』なんて言葉、今は考えたくもない。
コタロウを思いながら、そう強く思った。
いつかは訪れることだとわかっているけど、今はまだ考えるのは早すぎるから。
それに……虎谷先生だ。
今どんな気持ちでいるんだろう?辛い思いをしているんじゃないか、と思ってしまうのだ。
それが気がかりで……胸が苦しくなる。
考えても仕方のないようなことを私はぐるぐると考え続けていた。
……その時の私は時間の流れなんて気にする余裕もなく、ただただぼんやりと考えていた。

