夏夜に逢えたら


それと同時に、ふわっと柑橘系の匂いが鼻を掠めた。

……何だろう、香水か何かつけてるのかな。

疑問に思って僅かに身体を桜井君へ近づけると。



「うん……やっぱり自分の名前も上手く書けないな」



と、書き終わった彼が顔を上げて、かなりの至近距離で目が合った。



「っ!」



自分でも気づかないうちに大分桜井君に近づいていたらしい。

硬直して動けない私と同様、ポカンと口を開けたまま固まっている桜井君。

どうしていいのかわからなくて言い訳を考えたけど、うまい言葉なんて出てこない。

……もう観念して本当のことを言おう。



「ご、ごめんっ、その……桜井君って何か香水つけてるの?」

「え、や、つけてないけど」

「そ、そっか。なんか柑橘系の香りがしたから気に……なって」

「柑橘系……あ、もしかしてワックスかも」

「え?」



桜井君が身を捩ったと同時に私も身体をひっこめる。

これ、とブレザーのポケットからトラベル用の小さいワックスが出てきた。

普段ワックスなんて見ない私は物珍しさにまじまじと見てしまう。

というか、正直驚いていた。


「桜井君ってワックス使うんだ……」


心の声のつもりが、うっかり外に出てしまった。