拓海の部屋の中まで見ることはできなかったが、拓海はドアの前に立つと
「俺は基本この部屋にいるから、何かあったらここまで来い」
と、彩芽に向かって言った。
「…あの、神崎さんもここで寝泊まりしてるんですか?」
「当たり前だろ。…だからって、寝込み襲うんじゃねえぞ」
「そんなことしませんからっ!」
そう反論した瞬間、唐突に彩芽の頭の中に先程のキスシーンが過ったため、彩芽は消し去るために首を横に振った。
(…っ、折角忘れてたのに!)
そんな彩芽の様子を怪訝そうな表情で眺める拓海。
「まあ大体の説明はしたから、後は勝手に散策でもしてみろ。俺は疲れたから部屋にいる」
そう言って部屋に戻ろうとした拓海を、彩芽は
「あ、あのっ!」
と声をかけながら拓海の腕を掴んで引き留めた。
咄嗟に腕を掴んでしまった彩芽だったが、それに気づくと慌てて手を離した。
「…っ、すいませんっ。あの、お聞きしたいことが…っ!」
特別寮と呼ばれているこの学生寮のことをひとりで考えているより拓海に聞いた方が早いと考えた彩芽は拓海に質問しようとしたが、顔を上げて拓海と目が合った瞬間全てが吹き飛んだ。
「…何?」
「あ、あの…その、えっと…」
目が合った瞬間ドキンと音を立てた心臓は、徐々にその音を大きくしていった。
さらに、先程自分の部屋で起きた出来事を思い出した彩芽は同時に頬を紅潮させていった。
(な、何を…聞こうとしたんだっけ…?)
彩芽の頭の中は混乱していた。
(てか、なんでこんなにドキドキするの?ただ、目が合っただけじゃんっ)
必死に自分自身に落ち着くように言い聞かせる彩芽。
「…おい。お前、聞いてる?」
「…っ!」
拓海はそう言うと、俯いてしまった彩芽の顎を掴んで上を向かせた。
その瞬間、先程のキスシーンと今の状態がリンクしたため、彩芽の鼓動が一層早くなった。
「…っ、え、あのっ…!」
「やっぱり、あれだけじゃ物足りなかったか」
そう言って不敵な笑みを浮かべながら、逃げようとする彩芽を廊下の壁に押さえつける拓海。
「なっ、違…」
「お前、男経験少ないだろ」
拓海は彩芽の顔に自分の顔を近づけてそう聞いた。
「分かり易すぎんだよ。意識してんのが」
拓海に全て見透かされていたと思うと、彩芽は急に恥ずかしくなった。
「たかがキスなんて、減るもんじゃないだろ」
「…たかがじゃないですよ」
拓海の顔が離れると、彩芽は唇を噛み締めながら小さく言葉を紡いだ。
「ファーストキスは、人生で1回しかないんですから…」
「お前…初めてだったのか?」
拓海にそう聞かれると、彩芽は男性経験が全くないことを自ら明かしてしまったことに気づき、恥ずかしさから顔を真っ赤にさせた。
「…っあ、え、うー…、はい…」
そして、弁解しようとしたが特にいい言葉も思い浮かばず、彩芽は素直に認めて下を向いた。
「…悪かったな」
そんな彩芽の耳に聞こえてきたのは、小さくそう呟いた拓海の声だった。
(…え?今、なんて…)
驚いて顔を上げた彩芽だったが、その瞬間彩芽の額に柔らかい何かが触れた。
それが拓海の唇だと分かるまでにそう時間はかからなかった。
「…っ!」
真っ赤な顔で額を手で覆う彩芽に、意地悪そうな笑みを浮かべる拓海。
(この人は…私の言った意味が全く分かってないんだから!)
それでも、彩芽の耳には確かに先程拓海からの謝罪の言葉が聞こえていた。
(気のせいじゃ…ないよね?)
「まあ、お前に男経験があろうがなかろうが、俺には関係ないけどな」
その言葉と拓海の態度によって、先程の謝罪は嘘でまたからかわれていただけだと確信した彩芽だった。
