透明人間

 私は立ち上がり、廊下を通って、洗面所に向かった。そこで洗濯機を回し、次は薄暗い倉庫部屋に向かい、掃除機を取り出した。そしていつものように二階の各部屋から一階の居間へとかけた。

 しかし居間の掃除が終わると、掃除機をそのまま放り出して、再びイスに座った。

「なーにやってんだろ、私」

 自分以外誰もいない空間でつぶやくのが、少々虚しく感じられた。自分の無力さにため息が後から出た。頭を腕の中に埋め、テーブルにのしかかった。

 その時は何も考えずに、ただいればいいと思っていた。しかしそうにはいかなかった。私の頭の中で、誠也のことが終わらない輪廻のように駆け巡るのだ。頭から離れない誠也。おかげで何もできない。まるで操り人形のように、誰かに言われるまで動きたくはなかった。

 すると不意に電話の音が鳴り響いた。私の背中が脊髄反射のようにピクッと動いた。

 すぐさま電話のところまで飛び、受話器をむしるように獲った。

「はい、大島です」

「あ…大島さん?大丈夫、誠也君のこと」

 近所で仲のいい柴原さんであった。どうやらもう、誠也のことが知られているらしい。このようだと、この近辺、いや、町内じゅう知れ渡っているかもしれない。

 私は熱が急に冷めたような気がして、突き放した言葉を吐いた。

「あ、柴原さん。こんにちは。私は大丈夫です。でも、変に電話がかかってくると、私としても神経がとがっているので、その辺はご考慮願います。おかげで寿命が縮みました」

「そう…分かったわ。他の人にも言っとく…じゃ、お元気で」

「はい、お気遣い、ありがとうございます。では」

 受話器を柴原さんが切る前に置いた。

 なんて冷たいのだろう、私。ただ思い通りにいかなかっただけのことで。しかしこんな自分も自分で理解している、つもりだ。冷たく当たったのにも訳があり、その訳も知っている。