たった15分なのに、とても長い時間ぼんやりしていた気がした。

すると、パタパタと足音が聞こえてくる。
髪の長い美人が凄い形相で走って来るのが見えた。

(あ、ナツコさんだ…)

奈津子は清子を見つけると、少し俯いて走る速度を早め、階段を駆け下りた。

(15分たってるわ…)

清子はなんだか嫌ぁな気分になりつつも、寮長室に向かう。

「ふぅ…ノックを三回「開いています」

「……シツレイシマス」

寮長室は先程とは打って変わって小綺麗になっており、書生用の着物を着た青年が座っていた。正直、清子は片付けの早さに感心してしまった。
青年はつり目がちな目に眼鏡を掛けている。ややキツそうな顔立ちで、いかにも頭が良さそうだった。
そして、なかなかハンサムだった。

たが清子はそれすらも、青年の全てを嫌味に感じてしまう。
清子は精一杯の笑顔で

「今年度から高等部一年になります、桜庭清子と申します。これは両親から預かって参りました、手紙とお菓子でございます。これからどうぞ宜しくお願いいたします。」

深々と頭を下げた。

「はいはい、確かに受け取りました」

青年は名簿のようなものに書き込み、さくらばきよこ、と呟いた。
そして、くるっとこちらを向いて

「私は寮長の本田恭之助と申します。まあ、普段は大学生ですから皆さんのお世話は寮母さんのお菊さん達が行いますがね。彼女はもう三十年ここに勤めてる方だから安心するといいよ。はい、桜庭さんの部屋は二二八、西側廊下を突き当たりから二番目ね」

と、いかにもマニュアル風にそう言った。

「わ、わかりました〜…」

清子はひきつり笑い気味に呟く。

「では失礼しま「ちょっとお待ちを」

「え」

青年は眼鏡をくいっと上げながら、

「貴女、見ましたよね」

ボソッと呟いた。

「そ、そりゃあ見ましたよ…ばっちり…」

(な、なんだなんだ…)

清子はじりっと後ろに退いたが、本田の手がガッと彼女の肩に置かれた。そして凄い顔で

「いいですか!絶対に生徒にも教師にも言ってはいけませんよ!いいですか、絶対に、絶対にですよ!!!」

本田は清子の肩をゆさゆさ揺らし、涙目になりながら訴えた。

(うわあ…二枚目が台無し…)

清子は内心そう思ったが、言葉には出さず

「だ、大丈夫大丈夫!絶対言いませんよぅ〜」

そう叫んだ。
しかし尚も青年は清子の肩を揺さぶり、絶対ですよぉぉ!!!!とこの世の終わりのような顔で喚いている。
正直なにをされるかと怖かったが、なるほど、この人の性格が、少し分かった。

要するにこの人はチキンで神経質なのだ。小物臭がそこはかとなく滞う。

なんだか清子はおかしくなって、少し本田恭之助という人間が好きになった。

クスクスと笑うと本田がなんとも間抜けな顔で不思議そうに清子を見上げる。

「じゃあ、十回私の願い事を叶えてくれたらこの件はなかったことにしてあげます。」

清子がそう言うと、本田は面倒臭そうに立ち上がり、

「桜庭さん、貴女人がこんなに頭を下げてるというのに…」

と態度をころりと変えて頭をボリボリとかいた。
本田は結構な長身だったが、痩せているのであまり迫力はない。
それで、清子は強気に出られた。

「あれ〜じゃあ言っても良いんですね〜」

「わ、わかりましたわかりました!じゃあ、これは契約ということで、そうだ!誓約書を書いて貰いますよ!」

そう言うと、高そうな紙と万年筆、それから朱肉を、机の引き出しをごそごそして出してきた。

(うわ、そこまでするのね…)

清子は再度、彼の神経質さに呆れる。

本田は達筆な字で、

"桜庭清子ハソノ願ヒヲ十叶ヘシトキ、汝ハ本田恭之助ノ秘密ヲ永久ニ守ラネバナラナイ"

と綴った。
そして朱肉に指を押し付け、お互いの名前の下に押した。

契約は完了だ。

本田は少し落ち着いたのか、ちょっと態度がでかくなり

「さあ、とっとと自分の部屋に行って下さい」

面倒臭そうに言う。
清子はかちんときたが、気にしない体を装って質問した。

「…そもそもどうして男の人が寮長さんなんですか?よく学校側が許可してますねぇ。一部の保護者が知ったら卒倒しますよぅ」

「あぁ、それは………言わない」

「一の願い事それにします」

「……俺は小説家になろうとしてるんですが、家族の猛反対にあっていて大伯母だけが味方なんですよ。で、学費を出してくれているのも大伯母で。だからなるべく負担をかけないようにここで住み込みで食費、住居費その他もろもろ節約してるんです。ここに住めるようになったのは友人の父親がこの学園の大出資者で、その口添えのお陰なんです。」

ボソボソと言いにくそうに説明した。そして最後に

「…だから信用を失うわけにはいかないんですよ」

と付け加えた。

「それなら女の人なんか連れ込まなければいーのにぃ」

ケラケラと清子が笑うと本田はムッとしてキセルを取り出した。

「早く部屋に行ってください」

不機嫌そうな顔で煙をふかす。
清子はこの煙がどうも苦手なのでこれは退散するしかない。

去り際にさり気なく

「あと九つですねっ」

と言ってみると本田が顔をしかめるのが見えた。



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「………これは…大変な奴のおもちゃにされちまった…」

カチャリと清子が扉を閉じて階段を昇る音を確認してから、本田恭之助は呟いた。