人間は生まれた時から公平では無い。
全ての人間が当てはまるとは言わないが、生まれた環境、親の性格、教育方法で子供の成長のしかた人生は変わってくるだろう。
貧乏な家に生まれるより金持ちの家に生まれた方がいいだろう。
親の遺伝子を受け継いで子供は誕生する。少しでも優れた遺伝子を持ち生まれた方がいいだろう。
教育熱心過ぎるのも俺は勘弁だが、放任主義、教育放棄よりしっかりと教育はした方がいいだろう。
ただ絶対に必要なのは親の愛情だろう。
親はどんなことをしても子供を裏切ってはいけない。
親はどんなことをしても子供を見捨ててはいけない。
子供は親を選べない。親は自分を犠牲にしてでも子供を守らなくてはいけない。
よく考えてくれ。
当然、子供も親を信頼し愛さなくてはいけないだろう。
俺は謝らなくてはいけない。親の誕生日も年齢も知らない。
と言うより忘れてしまった。実は姉と弟の誕生日すら忘れてしまった。
俺の家に誕生日を祝うということが無く、また俺だけ家族と疎遠になってしまったのが原因だ。
俺は自分の家族を愛していない。
俺は自分の家族を憎んでいる。

俺の幼少期(保育園時代)を話したいと思う。
正直に言うとこの時期の記憶は曖昧で、どれが一番古い記憶なのかが思い出せない。
なので覚えていることを書いていこうと思う。

話しの途中だが38歳まで10日となった。
俺は今、選択をしなくてはいけない状況にある。
何を選択しなくてはいけないかと言うと今後どうするか?だ。
①今の場所で俺自身の過去と向き合い生活を立て直す。
②誰も俺の過去を知らない都会に行き生活を立て直す。
③誰も俺の過去を知らない田舎に行き生活を立て直す。
④もう楽になる

時間は待ってはくれない。
近い内に結論を出さないといけないだろう。
ここに自分の人生を書きながら、自分の人生を振り返り答えを見つけようと思う。

話しを戻すが、保育園の記憶は本当に少ない。
思い出してみても3つの思い出しかない。
俺は今でもあまり牛乳が好きではない。当然子供の頃も牛乳は、あまり好きではなく無理をして飲んでいた。
そのあまり好きではない牛乳が、冬の季節になると温められて出てくることがあった。
その温められた牛乳が、少し時間を置くと表面に膜が張られるのだ。
俺はどうしても、この膜の張った牛乳を飲むことが出来ず残していた。
なぜこんなくだらないことが、数少ない記憶なのかはわからない。
ただ俺は人生で一度も牛乳を買ったことは無い。

サンタクロースは保育園で教えてもらった。家には当時クリスマスは無かった。
保育園に来たサンタクロースは、真っ赤な洋服に真っ白な髭、大きな袋を持ち子供達に
「メリークリスマス」
と言いながらプレゼントを渡していた。
俺も人生で初めてのクリスマスプレゼントを貰った。
何を貰ったか思い出せないが嬉しかったのを覚えている。
その後、俺の元には1度もサンタクロースが来る事は無かった。
姉と2人でクリスマスには枕元に靴下も置いた。
でもプレゼントが入ってる事は1度も無かった。
友達の家にはサンタクロースが行ってるのに、なぜ家には来ないんだろう?
きっと順番に配っているから来年は家に来てくれるだろうとか、俺がいい子ではなかったから今年は来てくれなかったんだろうとか考えていた。
サンタクロースがもう来ないとわかったのは、いったい何歳の時だったのかな。

保育園での最後の記憶になるが、俺はこの時から異常だった。
何が異常かと言うと保育園児が性に興味を持っていたのだ。
俺はお昼寝が嫌いで、いつもお昼寝の時間は寝た振りをしていた。
先生が部屋を出て行くと、側の女の子の体に触ったりもしたし、先生の後をつけてトイレに入った時は、トイレの下の隙間から覗いたりもしていた。
この頃は親父のエロ本も隠れて何度も見ていた。
興奮してペニスが勃起することはなかったが、なんとも言えない興奮を覚えた。
この頃はペニスをいじる事は無かったが、何度かアナルにボールペンを入れたこともあった。
俺は今も性に関してはアブノーマルな部類に入ると思う。

その後、俺は保育園を辞めた。
母親は俺に、仕事を辞めて昼間は家にいるから保育園代が勿体無いと言っていたが、今思い出してみると、もしかしたら保育園に辞めてくれと言われたのかもしれない。