昭和52年(1977年)。
この年、世間の話題はもっぱら、プロ野球巨人軍・王貞治の本塁打世界新記録達成なるか、であった。
前年にあの偉大な打者ベーブ・ルースの通算本塁打記録を破り、世界単独2位となった王。
残るターゲットは世界記録保持者のハンク・アーロンただ一人。
すでに716本の本塁打を放っている王は、あと40本で新記録達成となるのだった。
1シーズン平均40本は打つ王にとって、この数字は造作もないことのように思えた。
今年中の世界記録達成は間違いなし、と誰もが期待した。

まさに日本中が“王フィーバー”に湧き返った年であった。



そんな年の春の出来事であった。
舞台は、とある地方のありふれた小さな町。
そこが笠松竜太郎の生まれ故郷である。

この町には、やはりありふれてはいるが、駅前に小さな商店街があった。
その駅を通る電車は、住民が皆“街”と呼んでいる、市で一番の繁華街まで20分で行ける便利なものだ。
しかし車両がたった二両しかなく、近年では利用者もまばら。
かつては乗降客も多かったのだが、こんな地方にも、やはり車社会の足音がヒタヒタと近づきつつあったのだ。