翌日、部活に行った私達吹奏楽部は
顧問の先生に自分の楽器を伝えられた。
私はバスクラリネットになった。
実は中学のときも吹奏楽部入っていて
バスクラリネットを努めていた。
そのおかげもあって高校でも
バスクラリネットを弾けることになった。
それぞれ自分の楽器を伝えられ
顧問が居なくなると
ざわめきがおきた。
どうやら小野崎の楽器についてらしい。
小野崎はユーホニウムを担当するので
同じパートになれなかった人達は
悔しがっていた。
「やっぱり、ここには音楽を本当にやりたい人はいないんだ。」
そのまま私は、音楽室を後にした。