「――松永さん。ロビーに、お客様が来られてます」

「――今日アポはないですけど」



私は少しキツイ口調で内線に返事をした。

もう帰るところだ。こんな時間に来る客も非常識だが、それを通すのは受付として怠慢ではないか。


受話器の向こうの受付嬢が困った声で返答してくる。



「――あの、でも、松永さんの知り合いだとおっしゃってまして。傘を届けに来たんだとか」

「――はい?」

「――黒髪の長身の男性なんですけど、ご存知ないですか。黒ずくめで、ちょっと怪しいですし、一応警備員を呼んであるんですけど。どうなさいますか?」

「――……。待つように伝えてください」



私は急いで荷物をまとめ、ロビーに降りるエレベーターに乗り込む。


あの馬鹿。


なんで来たんだ。いや、確かに外は大雨なのに傘を家に置いてきてしまったが。


コンビニで買えば済む話だ。


大体なぜ、私の職場を知っているんだ。



「よっ!おつかれ!」



ロビーに着くと、陽気に悪魔が片手をあげる。

受付嬢が興味深げに私に視線を寄せる。

柱の影からは、警備員が悪魔に警戒の目を光らせていた。


私はため息をつく。



「出るわよ」

「は?なんだよ。いきなり」

「いいから」



早口でそう言って、出口へ歩く私を悪魔が追ってくる。



「なあ!なんで、そんな怒ってんだよ?」

「いきなり会社に来ないでよ!」



出口を出て、受付嬢や警備員の目が届かないビルのエントランスの端に移動した私は、悪魔を見上げて叱り付けた。

悪魔はきょとんとした表情で、首をひねる。



「傘届けに来ただけだぜ?」

「頼んでない」

「でも雨ひどいしよ。困るかなと思って」

「そんな気遣いできるなら、いきなり会社に来たらどうなるかも考えてよ」



明日には絶対、噂になってる。

受付嬢のネットワークは侮れない。すぐに受付嬢の間で噂が広まり、尾鰭がついた噂が社員にも広がる。

仕事関連のことには口が固い彼女達だが、私生活の噂は大好物だ。



「噂?受け流しゃいいだろ」

「そうだけど。私、必要以上に人と関わりたくないの。ストレスを増やさないで」


私の言葉に悪魔は「悪かったよ」と、うなだれた。

そこで、私は少し反省する。

気を遣って雨の中、傘を持ってきてくれたのに、ちょっとあんまりだったかもしれない。