「先生、今日はどうされたんですか?」
佐伯さんが見開いた目を緩やかに細め訊ねた。この先生とは聞くまでもなく芦萱先生の事だ。
「あぁ、今度荒河賞の選考委員を頼まれてね」
「勿論存じています。お引き受け下さりありがとうございます」
「それはこっちの台詞だよ。新人作家の発掘は好きなんだ」
「ありがとうございます。芦萱先生の目に留まる作品があるといいのですが………あ、では今日はその事で?」
まぁね、と呟いた芦萱先生の視線がふと佐伯さんの横にいる私に移った。深く会釈すると芦萱先生は「えぇと…」とこもった声を出す。明らかに誰?と戸惑っている声だ。
「お久しぶりです。高橋です」
言ってから、しまったと下唇を噛んだ。
私は以前にも芦萱先生にお会いした事があった。私が荒河賞を受賞した時だ。今日みたいに偶然、編集室の前で会っていた。
でもそれはもう何年も前で、話した内容も挨拶程度。しかも会ったのはその一度きり。
だから芦萱先生が覚えてる訳ないのに久しぶりなんて言い方はマズかったかと後悔したけど、
「高橋……高橋…岬さん?」
予想に反し、芦萱先生の口から出たのは私の小説家としての名前だった。
