不二雄は、電動車椅子を走らせて何とか約束の二時半までに大通りの待ち合わせ場所に行くと、幼馴染の健史は既にランチを頼んで一人で食べていた。
「やあ、久しぶり元気にしてたか?」健史が言った。不二雄は今まで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、ここ数日の出来事を機関銃のように話した。
聴き終えて「馬鹿だなお前、なんでそんな大変なことを引き受けたんだ」と呆れた口調で健史に言われた。
「なぜか放って置けなくてさ。茂雄さんには一人暮らしする時にお世話になったし、麻美ちゃんを何とかしてやりたいと思ったんだ。それに健史にだけ言うけど、俺彼女みたいなタイプ嫌いじゃないみたいなんだ」と恥ずかしそうに言った。
「馬鹿かお前は、そんな出来損ないのヘルパーを何とかできると思ってるのか?それにそんな下心があるなんて。ほんとうに好きになってしまったら辛くなるのはお前だぞ」
「わかっているよ。出来るかどうか、わかんないけどやってみたいんだ。俺も麻美ちゃんと一緒に人間的に成長できる気がするんだ」なぜここまで言えるのか自分でもわからなかった。
「それほど言うなら、やってみればいいさ。だけどもう愚痴は言うなよ。自分で決めたことなんだから」と健史にキッパリ釘を刺された。
不二雄と健史は、同じ養護学校の同級生だった。二十五年以上の付き合いで何でも話せる仲だった。
健史もポリオだったが、左半身の自由が少しきかないだけで一般企業に勤め、三十歳の時に職場結婚した。
「わかったよ。これからはお前に愚痴は言わないよ。」
不二雄の淋しげな顔に気づいたのか「でもあんまり一人で頑張るなよ。何かあったら話せよ。長年の付き合いなんだから」と健史は優しい言葉をかけ「じゃあな」と帰っていった。
彼に話したことで気持ちがスッキリした反面、もうあとには引けないんだと気を引き締めた。
それから、麻美との待ち合わせ場所に向かい二人で家に帰った。
地下鉄の中で「麻美ちゃん休憩時間何していたの」と不二雄が聞くと「お昼ご飯を食べて、ウィンドショッピングしてました」と普通の答えが返ってきた。
「何か欲しいものあるの」
「あるって言ったら買ってくれますか」とドキッとすることを言う。
「いや、買っては上げられないけどね」と言いながら、麻美は普通に話すこともあるんだと思った。
今までは、話しかけてもぶっきらぼうな応えしか帰ってこなかったので、不二雄は嬉しくなった。
「麻美ちゃんと色んな話ができると嬉しいな」と思わず言ってしまう。
「そうですか?でも私、人と会話するのが苦手なんです」
「じゃ、どうしてヘルパーになったの?この仕事はコミュニケーションが大事なんだよ。」
「そうですよね。ヘルパーを始めるきっかけは、就職先がなかったから、たまたま募集していたこの会社に入ったんです。資格は専門学校の教科で取っていたんです」
「それは良かったじゃないか。これからは、うまく話せなくてもいいから自分の思っていることを相手に伝えて、相手の話も聞けるようにしていこうね」
「不二雄さんは優しいですね。私こんなに人と話せたのは初めてです。朝から失礼なことばかりしてすみません」と素直に誤ってきた。
不二雄は驚きながら、初めて麻美が来た時のことを思い出した。クソ女と思った彼女と案外うまくやっていけるかもしれない。
いつもは、長く感じる地下鉄だが麻美と話すうちに、あっという間に不二雄の家がある宮の沢に着いた。
帰宅するといつものように、手洗いうがいをしてもらい、夕食の準備にかかってもらった。
「今日はご飯を二合炊いてくれないか?米の研ぎ方は分かるよね」と聞いた。
「大丈夫、お米は研いだことがあるから」と自信満々に言う。
炊き上がったご飯を見て、麻美が「何故かお米ベチャ・ベチャしてるんですけど」と言ってきた。
「えっ、なんで。二合研いだんだよね。水も二のメモリのところまでしか入れてないよね」
「それがお水のメモリ三にしちゃったみたいです」と笑顔で首をすくめている。
「甘えた声を出してもダメだよ。気をつけてくれないと、俺は柔らかいご飯嫌いなんだよ」と声がキツくなった。
「すみません。これから気を付けます」と麻美は素直に謝った。
「もう、しょうがないな、おじやかお粥で食べるしかないよ。これからは炊飯器のメモリをちゃんと見てから炊くんだよ。じゃあ今日はお粥にでもするかな」と諦め口調で言った。
「ほんとうにごめんなさい。他の利用者さんならきっと怒りますよ」
「最近思うんだよ。失敗したことを怒っても仕方がないと次は失敗しないように気をつける事が大切なんだよ。でも俺だってキレることはあるんだよ」と話しながら食事を終えた。
夕食のあと入浴はせず、パジャマに着替え、ゆとりの時間を話をして過ごした。
麻美は、突然話し始めた「妹が次々生まれたので、親の愛情は全て年子の妹達に向けられたんです。私はお母さんに、ギュッと抱きしめられた記憶もないんです。親に愛された記憶がないんです」と淋しそうに告げるのを聞くと、
「そうなんだ。それは辛かったね」と慰めずにはいられなかった。
その日以来、二人の関係は急激に親密になった。麻美は不二雄の言うことは、なんでも聞くようになっていった。
その頃から、不二雄はタンス貯金を始めるようになった。麻美と自分しか知らない場所にお金をしまいこんで、独立しようと考えていた。

不二雄は、そっちの機能は、普通の男性以上だった。麻美と出会うまでは、月に二、三度ネットから好みの子を見つけて、デリヘルを呼んで欲求を満たしていた。
麻美を見るたびに勃起してしまう。お互い求め合うようになり、仕事中にエッチをすることもあった。
不二雄がリードして行為を行うことは出来ない。二人でベッドに横たわり、麻美が上になり体を動かす、昼間から喘ぎ声が出る。彼女の体は最高だった。
「茂雄さんに、二人の関係がバレたらどうしょう」と麻美が不安そうな目をした。
「大丈夫さ。お互いの気持ちがしっかりしていたら誰に何を言われても」
「不二雄さんは話しやすいですね。」とベッドの中で語り合った。

二人のことを何も知らない茂雄は、麻美が休みの日は、悠子と代わる代わる不二雄の家にやって来た。二人とも麻美のことが心配で「大丈夫ですか?ちゃんと仕事してますか?」と聞いてくる。
「茂雄さんに、彼女は一筋縄ではいかないと言われたけど、麻美ちゃん頑張ってますよ」と告げると
「みんな忙しいからね。不二雄さんに教育係頼んで正解でしたね」と茂雄はふたりの関係に全く気づいていなかった。
毎日、長い時間を一緒に過ごし色々話をするうちに、ヘルパーと利用者の恋愛はありえない話ではないが、まさか自分が第一印象の最悪だった彼女にそのような感情を抱くとは思ってもいなかった。
ふと、健史に言われた「もし彼女を好きになってしまったら辛くなるのはお前だぞ」の言葉が頭から離れなかった。

不二雄の収入は、障害年金月額八万円・生活保護費一万円、生活保護を受けると免除される、家賃四六〇〇〇円、灯油代一部支給、国民健康保険料が免除される。他に特別障害者手当月額二六、六二〇円で生計を立てていた。
毎月支給される手当は十分すぎる。そこで不二雄は、タンス貯金していた。タンスの中に小さな金庫を入れ、その額は十五万以上になっていた。
ある日、お金が減っていることに気づき愕然とする。この隠し場所を知っているのは、麻美と自分だけだった。
麻美に「金庫入れてあったお金三万円が無くなっているんだけど知らないか」と聞いてみた。
彼女は「知りませんよ」と言うが、顔の表情でウソをついていることがわかる。不二雄の担当になり一年が過ぎようとしていた。
ずっと一緒過ごしてきて、彼女への想いが深まっていた。これから二人で独立しようと不二雄は勝手に思っていた。
彼女がウソをついている事はわかる。問い詰めても「知らない」の一点張りだ。
自分は麻美の事を大切に思って信じていた。
麻美が自分には心を開いて、何でも話してくれていると思っていただけに情けなかった。
不二雄がお金を隠し持っていることは、区役所の人には秘密である。そんなことがバレたら、生活保護打ち切りになってしまうが、このままにしておく訳にはいかない。
本当に麻美の仕業なのか、確かめたかった。
スカイプのカメラを金庫の方に向け、ヘルパーに気付かれないようにパソコンに録画を開始した。
それから二ヶ月が過ぎた。その間ヘルパーのいない時間を見計らい録画チェックをしていた。
麻美の姿が写し出された。金庫のお金を何の躊躇もなく盗むところが写っていた。
不二雄はショックで茫然とした。茂夫に電話をして家に来てもらい、一部始終が写しだされた証拠の画像を見せた。
「警察に連絡しよう」と茂夫が言った。敢なく麻美は逮捕されたが、初犯ということもあり、執行猶予つきで釈放された。
麻美が不二雄に心を開いたのは、この人、お金があると直感したからだと警察で自供した。
不二雄は、生活保護の打ち切りは、免れたが厳重注意を受けタンス貯金は没収された。

数ヵ月後、街で偶然派手な格好をした麻美を見かけ、不二雄は思わず後をつけた。横断歩道の信号は赤、凉しい顔で立ち止まっている彼女。やりきれない感情が不二雄を襲った。車椅子は時速十キロのスピードが出る、不意に電動のレバーを強く握り締め、麻美を目がけて突進した。
完