校舎側のフェンスの向こうには、かなり人がいるようだった。近隣の人々だろう。
生徒も交じっているようだ。
いつもはテレビの中でしか見られない光景を、島民たちは食い入るように見つめる。


東門は開放されていた。フェンス越しにグランドを見てから、1歩、踏み入れる。

防球ネットが校舎までの間には立ち並んでいた。
その裏にある水道に、誰かのタオルが忘れられている。蛇口のひとつがゆるんでポタ、ポタ、と水をおとしていた。

その蛇口を上向きにひねって水を出す。
こんこんと溢れだす水は夏でも少し冷たい。左手を水に浸す。
8年間繰り返した夏、を思い出した。


水道を離れて、校舎側へ行こうかと思った、その時だった。


「――君は、」


声のした方を向くと、ユニフォームを着た、壮年の男性が立っていた。


「翔瑚くんじゃ、ないか?」

「え……?」


彼は驚いたように目を見開いて、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。


「やっぱり、そうなんだね。確か……風霧、そうだ、風霧翔瑚くんだ」

「どうして、名前を……」


俺は、自分に向けられた見知らぬ人間の顔をまじまじと見つめ返した。
知った顔ではないはずだった。頭が、ちゃんと働いているならば。


「驚くのも無理はない。僕は君を知っているが、君は僕を知らないだろうからね」


彼は目元にしわを寄せて微笑んだ。

いでたちからして、合宿中の野球部の関係者なのだろう。
でも俺は、そこまで有名な投手だったわけではない。むしろ、強豪校を集めてみれば、ありふれた選手だったはずだ。


「あの、どこかで……?」

「いや、会ったのはこれが初めてだ。一度、話がしたいと思っていたんだよ。少し、時間をもらっても構わないかな?」

「はい……」


再び穏やかな微笑を見せると、彼は両手を腰の後ろで組んだまま、校舎の方へと歩き出した。