今日は一年に一度のバレンタインデー。

女の子達が待ち望んだ日。

それがもうほとんど終わりかけた放課後。

私は荒川先輩宛てにと預かったチョコが入ったいくつもの紙袋を先輩に渡しに行った。

練習中、“今日はたくさんギャラリーがいるね、誰かに渡しに来たのかなぁ??”なんて不思議そうにしていた先輩。

まさかそれが全て自分宛てになんて全く思っていないみたい。

そういえば他の空手部の先輩が“荒川は本命もらっても気付かないから、全部義理とか友チョコとか思ってるんだよ”って言っていた。

謙遜と天然を持ち合わせた先輩だからこその言葉。

そんなのじゃ本命を渡した女の子がかわいそう。

だと思うはずなのに、私はどこかそれに安心している。

その意味がわからないまま、部活を終え、先輩宛てにと預かったプレゼント達を渡し、武道場から帰ろうとしているとき……。


「小早川さん待って!」


普段穏やかな荒川先輩からは聞かないような声に驚き、荷物を取りに行こうとしていた私は勢いよく振り返る。

そこには、真剣な表情をした荒川先輩が。


「あっ、あの……、先輩??……」


怒っているわけじゃない。

だけど何かを我慢しているように、眉間にはシワが寄っている。

中性的で綺麗な顔立ちの先輩が、何だかいつもより男らしく見える。

ふわりと穏やかないつもの雰囲気も、なぜか今は感じさせない。


何かあったのかな??……。


途端に心配になって、先輩を見上げてじっとその目を見つめた。

すると、先輩が私の目をじっと見つめ返し、ゆっくりと口を開いた。


「小早川さん、君は誰かにバレンタインチョコを渡したの??」


「えっ??」


私は荒川先輩の言葉に素っ頓狂な声を上げる。

だって突然何でそんな話を……。

先輩がそれを尋ねてきた意図が私には全くわからない。


「ええ、はい、渡しましたよ」


「っ!!」


よくわからないけど、素直に答えておこうと思い、私はそれに頷く。


「舞璃と杏奈と瑠美と蛍、それから部員にも……」


「そうじゃなくて!」


「っ!?」


指を折りながら誰に渡したのかを言っていると、それを荒川先輩が途中で遮った。

切羽詰まったように声を上げた先輩に驚いて、ビクリと肩を上下させる。


「あっ、ごめん……、怒っているわけじゃないんだよ」


それに気付いた先輩は、ハッとしたように首を左右に振った。


「ごめんね……、でも、そうじゃないんだよ……、そうじゃなくて、特別な誰か一人だけにあげてないの??って聞いているんだよ」


「特別な誰か一人だけ??……」


「そうだよ」


それはつまり、本命チョコというものを誰かに渡したのか、ということで……。


「わっ……渡してませんっ……」


好きな人はいるのかと聞かれたようで、何だか恥ずかしくなり、自分の顔が熱くなっていくのがわかった。


「本当に??」


「本当です!」


「そっ……か……」


そう言うと、先輩はなぜかニッコリといつもの優しい笑みを浮かべた。


先輩が何を思ってそんな質問をしてきたのかはわからない。

だけど、荒川先輩のその笑みを見ると、私の心臓はドキドキと騒がしく音を立て、ふわりとした優しい気持ちでいっぱいになる。

それが何だか嬉しくて、先輩の質問の意味がわからなくても、今はまだいいかな、なんて思ってしまう。



もしも……、例えばもしも、私が先輩にチョコを渡したら……。

先輩は他の人のと同じように、何でもないように笑って“ありがとう”って言うのかなぁ??……。

私はそれを言われて、どう思うんだろう??……。


先輩の笑顔を見て、ガラにもなく、そんなことをほんの少し考えてしまった高校1年生のバレンタインデー。







放課後、libertyの部室。

ぼくと同じく部活を終えたメンバーが揃っている。

でも誰も何も話すことなく、それぞれ黙っている。

今日一度も会話していないから今こそ話すチャンスだというのに。

でもそういうぼくも同じ。

今は何だか誰かと話す気分ではない。

それは気分が沈んでいるから、ということではなく、その逆。


勢い余って小早川さんに本命チョコを誰かに渡したのかと聞いてしまった。

まるで好きな人はいるのかと聞いているのも同然の質問。

そんなの聞くなんてどうかと思ったけど、それでも止められなかった。

そんなぼくに、小早川さんは“渡してません”と言った。

その言葉にどこか安心して、気付いたらもやもやがなくなっていた。

先輩から無理矢理恋愛トークをさせられるなんて、小早川さんからしたらいい迷惑だったのかもしれない。

だけど、ぼくは聞いてよかったと思っている。

自分勝手だけど、こんなにスッキリした気持ちになれたから。


机の上には今日もらったたくさんのバレンタインチョコ達。

だけどそれより一番嬉しかったのは、小早川さんの言葉。

どんな甘い美味しいチョコよりも、“渡してません”という一言が、何より嬉しくて、ぼくの心に甘く響く。

だけどほんの少しだけ想像させて。

もしも……、例えばもしも、小早川さんがマネージャーとしてではなく小早川さんとしてぼくにチョコをくれたら……。

きっと、ぼくは他の人みたいに笑顔でお礼なんて言えない。

たぶん、どうしてくれたのか、どうしてぼくへなのか、聞かずにはいられないだろう。


「何てね……、だけどたぶん、冗談じゃなくて本当にそうなるんだろうね……」


理由はまだわからない。

そんな小さな呟きは、部室中に漂うチョコの香りに掻き消された。