「砺波ちゃん!」


驚いた顔でボクを見つめる砺波ちゃんにボクは笑顔で叫ぶ。


「ボクは君の絵が好きだよ!、君の本気で描いた絵をまた見たいと思った!、君が立ち上がるためにボクが何かできることがあるならやりたいと思った!、だからボクはここにいる!」


サッカーは君が描きたい衝動に駆られると言った。

君がまた描けるようにボクにできることはこれしかない。

だからボクはここにいるんだ。


「後藤先輩!」


その声と共に、スケッチブックをバッと挙げた砺波ちゃん。

そこには……。


「描けました!」


一面緑の世界の中を飛ぶ黒と白の二羽の鳥を、風の流れに逆らいながら追いかける金色の髪の男が描かれていた。

何の迷いもなく、二羽の鳥を自由に追いかけるその姿は、心の底から楽しそうに見える。

30分で描き上げた下書きとは思えないそれに、ボクは一瞬見惚れる。


「描きたい衝動に駆られました!、こんなに描きたいと望んだ絵は初めてです!、こんなに描くのが楽しかったのは初めてです!」


そんなボクに、今度は砺波ちゃんが笑顔で叫ぶ。


「先輩!走ってくれてありがとうございます!、ボールを追いかけてくれてありがとうございます!、蹴ってくれてありがとうございます!、点を決めてくれてありがとうございます!、楽しそうにサッカーをしてくれてありがとうございます!」


「砺波ちゃん……」


「私にっ!……、描かせてくれてありがとうございますっ!……」


笑顔を浮かべながら、その瞳からは涙がポロポロと流れ落ちている。

スケッチブックを持つ手が震えている。

声が上ずったような涙声に変わっている。

なのに何度も何度も繰り返して言ってくれる。

“ありがとうございます、ありがとうございます”って。

違うよ砺波ちゃん。

ありがとうはボクのほうだ。

ボクが立ち上がろうと思えたのは、君の折れない姿を見たから。

ボクが過去から抜け出そうと思えたのは、君がひたすらに真っ直ぐ進もうとする姿を見たから。

ボクがもう一度ここに立てたのは、君が軸をしっかりと持ち続けていたから。

君の全てがあったから、君という子がいたから、だからボクは笑ってる。

君がボクを救ってくれたんだよ。

なのに君はボクに感謝の言葉を繰り返す。

自分のことでは必死に涙を堪えるのに、ボクのためにはそれを流すことを惜しまない。

そして向けてくれる……。


「後藤先輩!ありがとうございます!」


最高に眩しい笑顔を。


「ははっ……、やっぱり砺波ちゃんはすごいよ」



「ありがとうございましたー!!」


ホイッスルの音に合わせて一斉に頭を下げる。

後期球技大会での最後の試合が終わった。

ボク達のチームは勝ち進み、校内で優勝を果たした。

勝つことがこんなに嬉しいことなんて、今までずっと忘れていた。

冷たい風が熱い身体には心地いい。

ザワザワと騒がしくなったところで視線を地から空へと移すと、そこは冬の寒さなんてもろともしないくらいに晴れ渡っている。

太陽がキラキラと眩しい。


「そっくりだ……」


その輝きはあの子の笑顔とよく似ている。

ボクを救ってくれたあの無邪気な笑顔と。


きっと砺波ちゃんボクを救っただなんて知らないだろう。

そんなこと、思ってもみないだろう。


「ああ……そうか……」


前に臥龍先輩がボクに言ったことがある。

“あの子は支えてやると支え返してくれるぞ”

あの頃はわからなかったその言葉の意味が、今はよくわかる。


「瀬那、どうした??」


耽るボクにレイが不思議そうな声を出した。

それにボクはニッと笑い……。


「鶴の恩返しだ」


その言葉にレイだけじゃなく、リョウキチもカナデもナルさんも“は??”と首を傾げた。

ボクはその姿に噴き出しながら、校舎へ向けて歩みを進める。


砺波ちゃんはまるで鶴の恩返しのよう。

支えてあげれば支え返してくれる。

でも、鶴と違うのは、支えてあげようと……立ち上がろうと思える勇気を与えてくれること。

ボクが自ら立ち上がろう思えるようにしてくれること。

でもそれを、砺波ちゃん自身は気付いていない。

だからいつでもその無償の笑みを向け続けてくれているんだね。



数日後、完成した絵を砺波ちゃんが見せてくれた。

下書きの段階で驚くくらいの絵が、大きなキャンバスに描かれたそれは、下書きのとき以上のもので驚愕した。

何をどうしたらこんな短時間でこれほどのものを描き上げることができるのかわからないけど、短時間で仕上げたとは到底思えない美しい絵だった。

驚きでキャンバスを前に立ち尽くすボクに、あちこちに絵の具を付けたままの砺波ちゃんは笑顔で言った。


「ありがとうございます!、後藤先輩のおかげです、やっぱり先輩最高ですね」


ああ、ほらまた。


「ホントに……、砺波ちゃんは先を越すのが好きだね」


「えっ??」


無償の眩しい笑顔。

曇りのない真っ直ぐな瞳。

裏のない正直な言葉。

どうやらボクから先には言わせてくれないみたいだ。

libertyのメンバーにその言葉を言ったら“お前のためじゃないから”と怒られるから言わない。

だからそれは心の中で何度も伝えた。

だけど砺波ちゃん、君にはちゃんと言葉で伝えたいんだ。

遅くなっちゃったし、また先に言われちゃったけど、それでもちゃんと伝えたい。

砺波ちゃん。


「ありがとう」


不思議そうな顔をする目の前の小さな女の子に、ボクはふっと笑った。