「おはよう、兄貴」

背後から弟の声が聞こえ、振り向くとまだ寝袋に包まったままの弟の姿があった。

瞼も閉じられ、寝息すらたてていた。

「寝言か」

外のほうに身体を向けると再び声がした。

「おはよう……お兄ちゃん」

弟ではないことだけは確かだったので、再び振り向いた。

ベッドの上で、目頭を擦りながら呆けている彼女の姿があった。

「おはよう」

とりあえず、当たり障りないようにとあいさつを返した。

彼女はまだ意識が判然としていないのか、ベッドから降りると僕のほうへと擦り寄ってきた。

目がトロンとしている。

ベランダの窓を閉め、僕は部屋の中へ入った。

ベッドの上に座ると彼女の身体が僕の腕に触れるか触れないかくらいの距離まで近づいた。

「おはよう」

再びあいさつをすると、彼女の身体が全身を激しく震わせた。

「あ……」

まるで小鹿が自分より強いものに目をつけられてしまった時のように、動きを止めていた。

口が上手に動かないらしく、はっきりと言葉を紡ぐことが困難になっていた。

「あの……」

目が赤く染まり、涙がゆるゆると溢れていた。

頬を伝うと、口元に涙の雫が吸い込まれていく。

「私……あの……違うんです。そうじゃないんです……あの……あの……」

僕は、何を思ったのか黙って頷いていた。

何もわかっちゃいないのに、彼女の涙の意味だって知らないのに、全てをわかった振りをして頷いていた。

「ん……っ……」

弟の声に反応した彼女は潜り込むようにして再びベッドの中へと入っていった。

僕の姿に気づくと、弟が「おはよう」と僕に言った。

「兄貴だけ?」と言うと、「杏ちゃんは?」と続けた。

ベッドを一瞥すると、こんもりと山を作った布団がかすかに震えていた。