翔はマンションのとある一室のドアの前に立っていた。そして荷物を持ち直してから、インターホンを押す。
少ししてから、部屋着の女の子がドアを開ける。その女の子は辛そうに咳を繰り返しながら、へにゃりと眉を下げて笑った。

「ほんと、に……来てくれたんだ」
「当たり前だよ、大丈夫? 心乃ちゃん。ほら、速くベッドに戻って。ヨーグルトとかスポーツドリンクとか買ってきたから」
「あ、りがと……。だけど、もうちょっとでお兄ちゃんもかえってくる、し」

翔はその後に続く心乃の言葉を察したようで、笑顔のまま首をふった。

「先生の学校、今日は入学式だろ? 帰ってくるの遅くなるんじゃない?」
「……わかんないけど」

なぜ、アイドルである翔と心乃が仲がいいのかは数年前にまで遡る。
心乃には年の離れた兄がいる。兄と心乃が二人暮らしなのと、名字が違うことには理由があるのだが――。
そして、その兄が学生の頃に翔の家庭教師をしていた繋がりで心乃と翔は仲良くなった。

「今日はもう仕事もお休みしてきたし、大丈夫だよ」
「……ありがとう。入って?」
「うん、お邪魔します」

今まで翔がこうして家を訪ねてきたことは少なくはないが、二人っきりなのは初めてで心乃はいつもと違うような雰囲気に緊張していた。

「あ、私の部屋入るの……か」
「うん? 心乃ちゃんは寝てなくちゃいけないからね」
「引かないでね……」

心乃は自分の部屋のドアの前で少し確認を取るようにそう告げると、思いきって扉を開ける。
その部屋に翔は軽く目を見開いたが、その目もすぐに優しくなって微笑んだ。

「ありがとう」
「う、うん」

心乃の部屋には、翔や恋達の所属しているアイドルグループ「Red Wave」、通称RWのポスターやグッズ等が飾られていたのだ。
心乃も別に恥ずかしい趣味だとは思っていないのだが、本人に見られることとそれはまた別問題であった。
翔は心乃をすばやくベットに寝かせて、買ってきたスポーツドリンクを手渡した。

「ライブも来ててくれてたんだ」
「うん……全然あたらなくて、たまにしか行けないけど」
「そんなの、言ってくれたらいくらでも――」
「ありがとう、だけどこれでいいの。私は特別じゃなくて、RWの一ファンとして応援したいから」

心乃は、ね? っと言いながら首を傾げてはにかんだ。翔もその心理を察してそうだね、と呟いて笑顔を返す。
心乃はうん、と呟きながらその眩しい笑顔に目を細めた。

「ほら、寝ときなよ。ご飯つくったら起こしてあげる」
「う、ん。ありがと――」

心乃は直ぐに安らかな寝息をたてはじめた。翔は優しく数回心乃の頭を撫でてから部屋をでる。
心乃がRWのファンなのは前々から教えて貰っていたが、自分の前での態度を観ているとそこまで好きなようには見えず、正直に言うとドラマやバラエティーに出ていたら見るくらいだと思っていた。
けど、あんな風にRWのポスターを部屋に飾ったり、ライブに来てくれていたと知っては頬が緩まってしまう。にやけ顔になってしまった口元を翔は一人ながら手で押さえるのだった。




「ただいまー」
「あ、おかえり」
「先生、お邪魔してます」

翔に先生と呼ばれた、心乃の兄の透が帰ってきたのは、二人が食事を初めて間もない頃だった。

「うわ、旨そうな飯くってんな」
「えへへ、翔くんの手作り」
「さすが主夫」
「主夫とか止めてくださいよ」

翔は半笑いで、透の冗談を受け流す。
しかし、透の誉め言葉は大げさでもなく、テーブルには美味しそうな料理がところせましと並べられている。彩りも盛り付けさえも完璧なそれは店で出てきたとしても不思議ではないだろう。
翔が、先生もどうぞと箸を差し出す。
透と翔は、先生と生徒の名残を残しながら喋るので、それを心乃はいつも違和感を感じながら会話に耳を傾けているいるのだ。
でも、そういう心乃も高校では透と師弟の関係になるのだが。

「入学式どうだった?」
「んー、まぁ……なんの問題もおきず、って感じ?」
「普通が一番ですね」
「うん、そうだね」
「それはそうと、明日は学校いけるか?」
「行く!!」
「……まだ微熱があるからわかりませんよ」

心乃が勢いよく言った言葉に翔は溜め息をついて、透に真実を告げた。


「まぁま、学校は逃げねぇよ」
「グループ絶対できたって」
「心乃ちゃんなら大丈夫だって」
「むりぃ、私に友達なんて……はあ」

心乃のいきなり始まるいつものネガティブ発言に翔と透は顔を見合わせて肩をすくめて笑った。