ヒゲと兄貴は去り、濁瀬川の駐車場には俺と那智だけが取り残された。
「とりあえず、三上の動きを確認してみるか」
那智が一息ついた後、ぼそりと呟いた。今から福岡向かうのもなんだし、と続ける。ああ、あのうさん臭い薬局長ね。白衣のポケットに盗聴器仕込んだんだったな、もうすっかり忘れていた。
というわけで、俺たちは那智のアパートに戻った。
那智は玄関で立ち止まることなく靴を脱ぎ捨て、そのままパソコンデスクに直行する。俺は自分の靴と那智の靴を綺麗に並べてから部屋に上がる。乃亜にいつもあれこれ叱られているから、きちんとした生活習慣が自然と身体に沁みついているっぽい。こんなところで発揮されるのは不本意だけど。
那智はキーボードを操作し、盗聴した音声を再生し始めた。倍速で流しているのか、三上の声は甲高く早口で、まるで機械がしゃべっているみたいだった。那智がマウスをポチるたび、音声が飛ぶ。俺にはさっぱり聞き取れなくて、那智もでたらめにポチポチやってるだけじゃね? って内心疑ったけど、那智は目当ての会話を見つけたらしく、その少し前から標準速度で再生し始めた。
ねちっこい、纏わりつくような三上の声だ。あの時の不快感が鮮明に蘇る。
『院長、さっきまた刑事が来ましたよ。本当に大丈夫でしょうか?』
どうやら俺たちの訪問をわざわざ院長に報告に行ったらしい。
『聞いているよ。何も掴めてないから来たんだろう。心配いらない』
明らかに還暦は超えているジジイの声だった。三上たちは一体どんな悪事を働いているんだ? 何を恐れている?
『例の女が殺された件で来たんだろ? 我々に繋がる証拠なんか何もないんだ。むしろ死んでくれて好都合じゃないか。死人に口なし、違うかね?』
『院長……まさか……』
『何を言ってるんだ君は。いくらなんでも私が殺人まで犯すわけないだろう』
『誰かに依頼した、とか。例えば、あの暴力団の岩淵とかいうやつに』
『バカを言うな、君。何を血迷ったことを! 誰かに聞かれでもしたらどうするつもりだ?』
『すみません』
『しかし……もし仮に、あの男が始末したのだとしても……我々には関係のないことだろう?』
『ですね』
はっはっはっはーと、二人の笑い声がハモって聞こえた。まるで越後屋と悪代官のやり取りだ。
『いずれにしても、しばらくはおとなしくしておいた方が良さそうだ』
還暦ジジイが意味ありげに言う。
『しかし、あいつらが黙っていますかねぇ。あの岩淵ってやつ、そうとう金にがめついですから』
『こら、あまり不用意に名前を口にするんじゃない。どこで誰が聞いてるかわからないだろう』
『すみません』
『だが確かに……しばらく商売できないとなったら黙ってはいないだろうな。小金でも渡してやり過ごせ』
『承知いたしました』
那智はマウスをカチッと鳴らし、そこで音声を停止した。
「あいつ……暴力団と関わってるとか、かなりヤバいやつじゃん。てか、院長もかよ」
俺が感想を述べている間も那智は忙しなくキーボードを叩いている。岩淵、岩淵、岩淵……とブツブツ呟きながら。
「出た」
那智が語気を強めて言い、画面には一眼レフで隠し撮りしたようなスナップ写真が現れた。黒塗りの高級車のリアドアを開けた男の写真。ダークスーツを身にまとっており、色の濃いサングラスをかけている。でっぷりとしたマフィアのボスみたいなオッサンが、今まさに後部座席に乗り込もうとしているところだ。
「こいつ……」
那智が目を見開いた。
「知ってるやつか?」
「さっき会った。濁瀬川地区を牛耳ってる組織の親玉の側近だ」
「まじかよ? けど、ああいう組織は素人相手に商売しないはずじゃね? 無法地帯とはいえ、そこんとこのルールを守ってっから、今まで警察が介入してこなかったんだろうよ」
これでも俺、『元』組対課所属だからね。元ね、元。
「この岩淵が組織に内緒で勝手にやってんのかもな」
「『商売』って言ってたよな。それってもしかして……」
「恐らくヤクだろ。三上らみたいな小者が人身売買に手ぇ出すとは思えねぇもん」
確かに、那智の言う通りだ。そう言えば谷口さん、濁瀬川の麻薬が地区外に出回っているって言ってたよな。
「那智くん、これ、谷口案件だ。谷口さんが今まさに追ってるやつだ。俺たちは関係なさそうだから、谷口さんに引き渡そう」
「そうなんだ」
那智はどうでも良さそうに言う。谷口さんがどんな事件を追っていようが全く興味がないようだ。視線を斜め上にやり、何もない壁を見詰めながら何やらブツブツ言っている。
「辻岡は患者を安楽死させた。悦子はそれを知っていたが黙っていた。辻岡を責めはしたが、誰にも言うつもりはなかった。悦子殺害はプロの仕業。恐らく口封じ。悦子は三上らと岩淵の取引きに気づいていた。けど殺して口封じするほどのことか? 証拠を全て消して、なかったことにすれば済むだろ。一般人相手にそこまで売り上げあるとも思えねぇし。じゃあ、誰が何故、プロまで使って殺した? 殺された悦子を移動させたのは辻岡と初音。電車を爆破してまで派手に偽装工作したのは、皆人に濡れ衣を着せるため? 遺体から弾まで抜き取って、何がしたかった? 捜査の撹乱が目的か? 初音が犯人は辻岡だと嘘の証言をしたのも、捜査の撹乱目的? 何のため?」
そこで那智はピタリと口をつぐむ。そしてゆるゆると俺の方に顔を向け、
「皆人くん、どう思う?」
と不意に俺に問う。
「これは仮設なんだけど……」
那智によって整理された情報から俺が思い当たるのは……。
「辻岡と悦子が恋人同士だったとするだろ? 恋人と妹が共謀して捜査を撹乱しようと企んだんだとしたら、目的は――――
――――復讐じゃね?」
那智は口を半開きにし、ポカンとした顔で俺を見た。が、すぐにその両目に光が宿る。
「そうか、辻岡は、犯人が逮捕される前に、自分の手で復讐しようとしてんだな。だから辻岡は濁瀬川の組織に潜り込んだんだ。組織の中に犯人がいると思ってるんだ」
「犯人、岩淵じゃね?」
もうそういうことでよくね? と思う。福岡まで行くのめんどい。一刻も早く、生まれたての我が子に会いたいんですけど。
「福岡、どうしても行かなきゃだめか?」
「当たり前だろ。福岡行けば、悦子が殺された理由がわかる気がする。俺の勘だけど」
「何もわからない気がする。俺の勘だけど。そして、我が子がパパに会いたがってる気がする。俺の勘だけど」
「そうだった、皆人くん、おめでとう。ビデオ電話してみたら?」
「直に会いたい」
「まあ、そう言わずに」
那智に促され、乃亜にビデオ通話で電話してみる。携帯電話の画面越しに見る妻と息子の姿に涙が止まらなかった。なんて愛おしい二人なんだ。
「乃亜ぁ~ありがとぉ~、ありがとぉ~乃亜ぁ~」
涙と一緒に鼻水も垂らしながら、何度も何度も繰り返す俺に、乃亜は優しく可憐な微笑で応えてくれた。
どうしても気がかりなことがある。愛する妻子と対面して心が満たされたら、今度はそればかりが気になってどうにも落ち着かない。だから那智に訊いてみた。
「もし本当に、初音が辻岡と共謀して遺体を動かしたんだとしたら、真犯人に狙われる危険はないか?」
「ああ、確かに。辻岡は上手いこと敵の懐に潜り込んでるみたいだから心配なさそうだけど、初音はどうだろう。真犯人も皆人くんの冤罪は初音が仕組んだことだって気付いてるはずだから、今頃初音の狙いを必死で探ってるはずだよな」
少し考えて「でも……」と那智は続けた。
「初音のあの感じだと、多分、悦子が殺された理由は知らないよな。真犯人はそこが一番気になってるんじゃないか?」
「犯人が隠したかった真相、それを初音が知らないなら殺す必要はないわけだ」
いや、待て。ということは。
「だけど初音が知らないと確信が持てるまで、初音の周りをうろついて探りを入れるんじゃねぇの? それかもう既に、初音も気づかないうちにどこかで犯人と接触してて、安心しきってるとか?」
我ながら名案と、得意げに那智を見る。
「皆人くん、冴えてる! もう一度初音のとこ行ってみよう」
俺たちはまた那智のアパートを後にした。
「とりあえず、三上の動きを確認してみるか」
那智が一息ついた後、ぼそりと呟いた。今から福岡向かうのもなんだし、と続ける。ああ、あのうさん臭い薬局長ね。白衣のポケットに盗聴器仕込んだんだったな、もうすっかり忘れていた。
というわけで、俺たちは那智のアパートに戻った。
那智は玄関で立ち止まることなく靴を脱ぎ捨て、そのままパソコンデスクに直行する。俺は自分の靴と那智の靴を綺麗に並べてから部屋に上がる。乃亜にいつもあれこれ叱られているから、きちんとした生活習慣が自然と身体に沁みついているっぽい。こんなところで発揮されるのは不本意だけど。
那智はキーボードを操作し、盗聴した音声を再生し始めた。倍速で流しているのか、三上の声は甲高く早口で、まるで機械がしゃべっているみたいだった。那智がマウスをポチるたび、音声が飛ぶ。俺にはさっぱり聞き取れなくて、那智もでたらめにポチポチやってるだけじゃね? って内心疑ったけど、那智は目当ての会話を見つけたらしく、その少し前から標準速度で再生し始めた。
ねちっこい、纏わりつくような三上の声だ。あの時の不快感が鮮明に蘇る。
『院長、さっきまた刑事が来ましたよ。本当に大丈夫でしょうか?』
どうやら俺たちの訪問をわざわざ院長に報告に行ったらしい。
『聞いているよ。何も掴めてないから来たんだろう。心配いらない』
明らかに還暦は超えているジジイの声だった。三上たちは一体どんな悪事を働いているんだ? 何を恐れている?
『例の女が殺された件で来たんだろ? 我々に繋がる証拠なんか何もないんだ。むしろ死んでくれて好都合じゃないか。死人に口なし、違うかね?』
『院長……まさか……』
『何を言ってるんだ君は。いくらなんでも私が殺人まで犯すわけないだろう』
『誰かに依頼した、とか。例えば、あの暴力団の岩淵とかいうやつに』
『バカを言うな、君。何を血迷ったことを! 誰かに聞かれでもしたらどうするつもりだ?』
『すみません』
『しかし……もし仮に、あの男が始末したのだとしても……我々には関係のないことだろう?』
『ですね』
はっはっはっはーと、二人の笑い声がハモって聞こえた。まるで越後屋と悪代官のやり取りだ。
『いずれにしても、しばらくはおとなしくしておいた方が良さそうだ』
還暦ジジイが意味ありげに言う。
『しかし、あいつらが黙っていますかねぇ。あの岩淵ってやつ、そうとう金にがめついですから』
『こら、あまり不用意に名前を口にするんじゃない。どこで誰が聞いてるかわからないだろう』
『すみません』
『だが確かに……しばらく商売できないとなったら黙ってはいないだろうな。小金でも渡してやり過ごせ』
『承知いたしました』
那智はマウスをカチッと鳴らし、そこで音声を停止した。
「あいつ……暴力団と関わってるとか、かなりヤバいやつじゃん。てか、院長もかよ」
俺が感想を述べている間も那智は忙しなくキーボードを叩いている。岩淵、岩淵、岩淵……とブツブツ呟きながら。
「出た」
那智が語気を強めて言い、画面には一眼レフで隠し撮りしたようなスナップ写真が現れた。黒塗りの高級車のリアドアを開けた男の写真。ダークスーツを身にまとっており、色の濃いサングラスをかけている。でっぷりとしたマフィアのボスみたいなオッサンが、今まさに後部座席に乗り込もうとしているところだ。
「こいつ……」
那智が目を見開いた。
「知ってるやつか?」
「さっき会った。濁瀬川地区を牛耳ってる組織の親玉の側近だ」
「まじかよ? けど、ああいう組織は素人相手に商売しないはずじゃね? 無法地帯とはいえ、そこんとこのルールを守ってっから、今まで警察が介入してこなかったんだろうよ」
これでも俺、『元』組対課所属だからね。元ね、元。
「この岩淵が組織に内緒で勝手にやってんのかもな」
「『商売』って言ってたよな。それってもしかして……」
「恐らくヤクだろ。三上らみたいな小者が人身売買に手ぇ出すとは思えねぇもん」
確かに、那智の言う通りだ。そう言えば谷口さん、濁瀬川の麻薬が地区外に出回っているって言ってたよな。
「那智くん、これ、谷口案件だ。谷口さんが今まさに追ってるやつだ。俺たちは関係なさそうだから、谷口さんに引き渡そう」
「そうなんだ」
那智はどうでも良さそうに言う。谷口さんがどんな事件を追っていようが全く興味がないようだ。視線を斜め上にやり、何もない壁を見詰めながら何やらブツブツ言っている。
「辻岡は患者を安楽死させた。悦子はそれを知っていたが黙っていた。辻岡を責めはしたが、誰にも言うつもりはなかった。悦子殺害はプロの仕業。恐らく口封じ。悦子は三上らと岩淵の取引きに気づいていた。けど殺して口封じするほどのことか? 証拠を全て消して、なかったことにすれば済むだろ。一般人相手にそこまで売り上げあるとも思えねぇし。じゃあ、誰が何故、プロまで使って殺した? 殺された悦子を移動させたのは辻岡と初音。電車を爆破してまで派手に偽装工作したのは、皆人に濡れ衣を着せるため? 遺体から弾まで抜き取って、何がしたかった? 捜査の撹乱が目的か? 初音が犯人は辻岡だと嘘の証言をしたのも、捜査の撹乱目的? 何のため?」
そこで那智はピタリと口をつぐむ。そしてゆるゆると俺の方に顔を向け、
「皆人くん、どう思う?」
と不意に俺に問う。
「これは仮設なんだけど……」
那智によって整理された情報から俺が思い当たるのは……。
「辻岡と悦子が恋人同士だったとするだろ? 恋人と妹が共謀して捜査を撹乱しようと企んだんだとしたら、目的は――――
――――復讐じゃね?」
那智は口を半開きにし、ポカンとした顔で俺を見た。が、すぐにその両目に光が宿る。
「そうか、辻岡は、犯人が逮捕される前に、自分の手で復讐しようとしてんだな。だから辻岡は濁瀬川の組織に潜り込んだんだ。組織の中に犯人がいると思ってるんだ」
「犯人、岩淵じゃね?」
もうそういうことでよくね? と思う。福岡まで行くのめんどい。一刻も早く、生まれたての我が子に会いたいんですけど。
「福岡、どうしても行かなきゃだめか?」
「当たり前だろ。福岡行けば、悦子が殺された理由がわかる気がする。俺の勘だけど」
「何もわからない気がする。俺の勘だけど。そして、我が子がパパに会いたがってる気がする。俺の勘だけど」
「そうだった、皆人くん、おめでとう。ビデオ電話してみたら?」
「直に会いたい」
「まあ、そう言わずに」
那智に促され、乃亜にビデオ通話で電話してみる。携帯電話の画面越しに見る妻と息子の姿に涙が止まらなかった。なんて愛おしい二人なんだ。
「乃亜ぁ~ありがとぉ~、ありがとぉ~乃亜ぁ~」
涙と一緒に鼻水も垂らしながら、何度も何度も繰り返す俺に、乃亜は優しく可憐な微笑で応えてくれた。
どうしても気がかりなことがある。愛する妻子と対面して心が満たされたら、今度はそればかりが気になってどうにも落ち着かない。だから那智に訊いてみた。
「もし本当に、初音が辻岡と共謀して遺体を動かしたんだとしたら、真犯人に狙われる危険はないか?」
「ああ、確かに。辻岡は上手いこと敵の懐に潜り込んでるみたいだから心配なさそうだけど、初音はどうだろう。真犯人も皆人くんの冤罪は初音が仕組んだことだって気付いてるはずだから、今頃初音の狙いを必死で探ってるはずだよな」
少し考えて「でも……」と那智は続けた。
「初音のあの感じだと、多分、悦子が殺された理由は知らないよな。真犯人はそこが一番気になってるんじゃないか?」
「犯人が隠したかった真相、それを初音が知らないなら殺す必要はないわけだ」
いや、待て。ということは。
「だけど初音が知らないと確信が持てるまで、初音の周りをうろついて探りを入れるんじゃねぇの? それかもう既に、初音も気づかないうちにどこかで犯人と接触してて、安心しきってるとか?」
我ながら名案と、得意げに那智を見る。
「皆人くん、冴えてる! もう一度初音のとこ行ってみよう」
俺たちはまた那智のアパートを後にした。



