ギャルとメガブス

私の母は貧しかったが、祖母は裕福とは言えないまでも、そこそこの暮らしをしている人だった。

私の母も、若かりし日には何不自由ない生活をしていたが、父と結婚し、貧しくなったのだ。

だが、母は責任感の強い人間だったので、親兄弟の援助を拒み、自分一人の力で私を育てようと奮闘した。

毎日の生活だけでも苦しいのに、生活費を削って、私をピアノのお稽古にまで通わせてくれた。

母は、自分も幼少時にピアノを習っていたので、私にもどうしても習わせたかったらしい。

それは、母の優しさと、そして片親でも習い事の一つぐらいは子供にさせたいという、親としてのプライドだったのだろう。



だが、私はピアノを習ってはいたものの、東京の家は壁が薄く、ピアノを練習するなどもってのほかだった。

それに、高級なピアノを買ってくれと母にせがむこともできなかった。

だが、祖母の家には、母が子供時代に使っていたピアノがあったし、家もしっかりした作りだったので、弾き放題だった。

ピアノが弾ける家に住めるという事実が、私にとっては何よりも嬉しかった。