私はこの転校にあたり、別段自分の今後について、劇的な好転を期待していたわけでもない。
どうせ、別の学校に行ったって、同じような目に遭うのだろうという諦めが、私の心の中には燻っていた。
長らく憂鬱な毎日を過ごしていた私は、先にも言ったように、期待という二文字を喪失していた。
とはいえ、正直な話、少しだけほっとしていた。
祖母の家は、横浜の市街地から少しだけ郊外へ外れた、閑静な場所にある小奇麗な一軒屋だった。
それまで私が母と二人で住んでいた、窮屈すぎるくらい狭く、そしてくしゃみすら隣の家に筒抜けになってしまうほどの壁の薄いアパートとは全く違っていた。
住んでいるだけで心に余裕ができるような、そんな家だった。
そして、そこは山から近く、緑に溢れ、自転車があれば私一人でも海まで遊びに出ることもできた。
もし、横浜の学校でもこれまでのように暗い毎日が待ち構えているのだとしても、住居の環境それだけでも、随分な慰めになるだろう。
どうせ、別の学校に行ったって、同じような目に遭うのだろうという諦めが、私の心の中には燻っていた。
長らく憂鬱な毎日を過ごしていた私は、先にも言ったように、期待という二文字を喪失していた。
とはいえ、正直な話、少しだけほっとしていた。
祖母の家は、横浜の市街地から少しだけ郊外へ外れた、閑静な場所にある小奇麗な一軒屋だった。
それまで私が母と二人で住んでいた、窮屈すぎるくらい狭く、そしてくしゃみすら隣の家に筒抜けになってしまうほどの壁の薄いアパートとは全く違っていた。
住んでいるだけで心に余裕ができるような、そんな家だった。
そして、そこは山から近く、緑に溢れ、自転車があれば私一人でも海まで遊びに出ることもできた。
もし、横浜の学校でもこれまでのように暗い毎日が待ち構えているのだとしても、住居の環境それだけでも、随分な慰めになるだろう。
