【苦悩】

俺は、大人になってから初めて、幽霊の頼みを聴くんではないだろうか。
幼い頃は、幽霊を怖いもんだとも思わずに、一緒に遊んだり、簡単な願いは叶えてきた。
でも、いつしか、それもしなくなり、霊なんか邪魔者以外の何者でもなくなった。
だけど、俺は今、幽霊の為に動いてる。もちろん結依だからだけど、最初からこうなる運命だったのかもしれない。
霊なんか知らねー。って思ってても、知らず知らずに霊のいる方に引き寄せられ、結局は霊の為に動いてる。でも、それも悪くはないかもしれないと今は思うんだ。
自分の力の本当の意味が分かった気がするから。
結依と約束した次の日の夜、俺は早速、結依の彼氏に会いに行った。 名前は「蛯名剛」当時は20歳で、住所が変わっていなければ東京の江戸川区に住んでいるとのこと。
結依の話を聞いてる限り、恐らく事故から、15年程経っている。(15年程前に流行ったドラマを知っていたから)そうすると、彼氏は35歳か。
いきなり見ず知らずのガキに、事故死した、あなたの彼女がまだ、成仏できていない。あなたに直接謝らないと成仏出来ないから、協力してくれないかと頼んでも信用してくれるだろうか。ふざけるな!と激昂されるかもしれない。殴られるかもしれない。最悪、警察呼ばれるかも……でも、分かってもらえる為に必要ならば、頭だって下げる。土下座だってする。なんとしてでも、結依を救ってやりたい!この一心だけが俺を突き動かしていた。
結依に教えてもらった場所に着いた。茶色いレンガ造りの5階建てのマンションだ。1階にあるポストで名札を確認すると蛯名の名前があった!
「よし!まだ住んでる!」
俺は逸る気持ちを抑えられず、一気に5階まで階段を駆け上がっていった。
息を切らし、緊張しながらチャイムを押す。静寂な空気を切り裂くように`ピンポーン´という音が鳴り響いた。
しばらくすると、ドアが少し開き、なんとも生気が感じられない男が身を半分ほど外に出してきた。
「はい。どなたですか?」
男は、力のない目で俺を見つめてる。
「突然、失礼します。私は、橘伊織と申します。千葉県の稲毛という場所から来ました。あなたが、蛯名剛さんでしょうか?」
男の表情が変わった。(なんだこいつは)という疑心の眼差しが俺に向けられる。
「はぁ。蛯名は私ですが、何か用ですか?」
「はい。単刀直入にお聞きします。14~15年前、千葉に住んでいた長澤結依という女性とお付き合いしていませんでしたか?」
蛯名は、より疑心を強めた様な眼で俺を強く見つめている。
「はぁ。確かに長澤結依とは以前付き合っていました。ですが、それがあなたにどう関係があるんですか?」
「はい。信じてもらえるか分かりませんが、私は霊能力者です。そして結依さんは、現在亡くなられた公園から抜け出せない`地縛霊´になっています。
地縛霊というのは、生前に強い未練があったり、その土地から離れられない強い理由がある霊のことです。
結依さんは、あなたに最後に酷いことを言ったまま死んでしまったこと。あなたと喧嘩したまま、別れなければならなくなったことが、あなたを苦しめているんじゃないかという思いが、彼女をあの公園に縛り付けています。彼女はあなたにもう1度会いたい。会って謝りたい!と強く強く願っています。
残念ながら私だけでは彼女を救えないんです。あなたが……あなたではないと救えないんです。どうかあの公園に来てくださいませんか!?お願いします!」
俺は深く深く頭を下げて、蛯名さんの言葉を待っていた。いきなり押しかけてきて、私は霊能力者です。それで結依さんは地縛霊です。あなたしか彼女は救えません。なんて矢継ぎ早に言われたら、混乱するだろうし、不審者や霊能力を語った悪質な霊感商法だと思われても、しょうがない。通報されるかもしれない……沈黙が怖い。頼む。早く何かいってくれ。
「何を……言ってるんですか?」
沈黙を破った蛯名さんは拳を握り締め、 細かく震えていた。
「随分詳しいんですね。どこで私達の事を調べてきたのか知らないが、結依が……結依が死んだのはもう10年以上も前なんですよ!?
俺が、くだらないことで喧嘩なんかしなければ!あんなとこで待ち合わせなんかしなければ!すぐに仲直りしていればあいつは死ななかったんだ……。
でも、ちゃんと葬式もやって、今だって毎日、線香をあげて、あいつのことを思ってる。
それなのに、あいつがまだ成仏してなくて未だに苦しんでるだと!?ふざけるな!
「すぐに分かって頂けるとは思っていません。ですが、事実なんです!あなたしか……あなたしか彼女は救えないんだ! 事故があったあの日、彼女はあなたにクロッカスの花束を渡そうとしていました。彼女言ってましたよ。あなたは花が好きだから、家に良く飾ってあって、私も自然と好きになったって。前も喧嘩した時に、彼女がクロッカスの花束を送って仲直りしたって。
あの日あなたも、花束を渡そうとしていたんじゃないですか?仲直りの印にクロッカスの花束を」
「そんな……まさか……」
か細い、絞り出したような声で言葉を発した蛯名さんは、両手で口を覆って力なくドアにもたれ掛かり、目からはスーっと涙が流れていた。
「突然やってきて、蛯名さんを苦しめるような事を言ってすいません。でも、彼女だけではなく、あなたも私は救いたいと思っています。もう自分を責めないで下さい。彼女が死んだのは決してあなたのせいではありません。
明日は満月です。満月の夜は霊能力が普段の数倍になり、浄霊に最も適した日になります。
明日深夜2時、稲毛のあの公園でお待ちしています。来てくれることを信じています」
それを告げると俺は蛯名さんに軽く会釈をし、歩きだした。
蛯名さんが今でも結依の事を思っていてくれたことが、本当に嬉しかった。
明日、必ず蛯名さんは来る。そう信じている。それで結依とはお別れだ。