pm.9:34

車のバックミラーで、笑顔の練習をしていた。

「よう、ブサイク。」

一人で呟いては、強張っていく頬に、上手く笑ってくれ。と、張り手をしていた。

静かな夜に響いてきた一つの足音が、僕の耳に聞こえてくる。

ガチャッ。と、開かれたサイドドア。

「久しぶり…。」

「うん。」




あいが、下を向いて車に乗ってきた。

その姿を見て、目も合わせられなくなる自分。

「バイト、お疲れ。」

「うん。」

逃げ出したくなるくらい、泣きたくなるくらい、今までが夢では無く、現実の世界なんだ。と、握ったハンドルが震えそうだった。

「久しぶり。」

何も良い言葉が浮かばず、同じ言葉を言っていた。

「うん。」

しまった。と思っていた矢先に、

「音楽をかけていないなんて、珍しいね。」

不意を突かれ、うん。以外の言葉が返ってきて、あいから誕生日に貰った赤いマスコットのCDケースを取り出した。

ピッ。と、機械音の後に流れ出す音楽。

「古い。」

昔とあまりにも変わってしまった態度に、寂しさと切なさから、僕は何も言うことができないでいた。

「海に行こう。」

映画のような最後を、帰ってくる前から、イメージしていたから、海に行きたかった。

pm.10:54

まだ、一度も目が合っていないな。

海が見える場所へ来たけれど、車を降りても、手を繋ごう。なんて言える勇気も無く、一人で石垣の前に着いていた。

買ったばかりの煙草を取り出し、暗い星空の下、ライターの眩しい光に、目を細めて。

後ろを振り向くと、携帯電話ばかりを覗き込む、あいがいた。

「歩くの早くなったね。」

都会の暮らしにも慣れてしまっていたのか、自分でも気付いていない。

それか、今まで、同じスピードで歩いてきた思い出を、ちゃんと覚えていてくれてたのかな。

「携帯にヤキモチ。」

「何だそれ。」

ほんの少しだけ、あいが笑ってくれた。

それだけで、この人とサヨナラしたくない。と思う反面、いや、もう終わりにしないと。と、一人で葛藤していて、何も口に出すことができなかった。

「何で、何も話さないの?」

帰って来る前から、嫌いになろう。忘れよう。そんなことばかり考えていたのに。

会うと、やっぱり駄目だな。

冷たい素振りでも、素っ気ない態度でも、全てを引っ包めて、

…好きなんだな。

だから、僕が好きになった人を、これ以上、つまらなさそうな顔にしたくなかったから。

「あのさ、俺のアドレス消してくれない?曖昧な関係、嫌いだから。」

サヨナラすることを、もう、決めたんだ。

「嫌。」

波が激しくぶつかる音が、その言葉と一緒に響いていた。

だったら、戻ろうよ?と、喉まで出掛けた。

嫌。って、どういう意味?と、頭で何度繰り返したか。

「俺を、コレクションにしたいんだ。」

友達と言うカテゴリーの中に入れられるのなら、仲良しだった彼氏。のまま、あいの心の中に居たい。と思ってしまった願い。

沢山いる中の、ただの一人。じゃなくて、特別な一人。になりたくて言ってしまった言葉。

「何で、そんな言い方するの?」

上手く説明できたら、少しは分かってもらえたのかな。

嫌みにしか聞こえない言葉の向こう側は、あいに届くことはなかった。

ブーン。と、スピードを出していたであろう、一台のバイクが遠くを走って行った。

言い訳したい気持ちを抑え、これでいい。もう、いいから。と、言い聞かせていたら、返事をするタイミングを失い、波音だけが聞こえる静寂に、また、包まれた。

その空気に息を吸えず、煙草という酸素ボンベを取り出していた。

携帯ばかり見つめるあいがいたから、真似するように携帯を開いてみた。

pm.11:06

その行動を見ていたあいが、タイミングよく、

「最近、あいシンデレラなんだ。」

と言う。

きっと、同じように、この空気に耐えれなくて、帰りたいんだな。と思い、

「分かった。帰ろうか?」

と、僕は言っていた。

「うん。」

また、うん。だけに戻った返事。

ありがとね。と、お家へ帰ろう。の意味を込め、前を歩くあいの腰に手を置いた。



「…………。」

「…ごめん。」



その細い身体に触れ、服の上からでも伝わった温もりに、誤魔化してきた思いが込み上げてきて、

「…うん。」

もう、隠せなくなってしまった気持ち。

「…まだ、側にいたい。」

後ろから、強く抱きしめていた僕の両腕。