私の毎朝は、通勤ラッシュに呑まれることから始まる。

困ったことに身長が足りないため、つり革に届かない。
だから転けないように両足でバランスをとる他に方法は無い。

最悪なことに、今日は人が多い。
雨のせいで湿った空気が漂う。

すると、いきなり電車が揺れ、バランスを崩してしまった。


「きゃっ‼︎ ごめんなさい」

「あ、いや。大丈夫です」




「えっ」「あっ」


聞き覚えのある声。
振り向くと、やはり顔見知りの彼だった。


「や、大斗先輩‼︎ ...と要先輩」

「うっす。今日ほんとに人多いよね」


大斗先輩と二人きりと期待した自分が馬鹿でした。
でも朝から会えるなんて、今日はいいことありそう。


「こんなぎゅうぎゅうじゃ、園子ちゃん潰れちゃいそう」

「私、乗り物酔い酷いから毎日大変なんです。つり革届かないし...」

「うっそ‼︎ まじで⁉︎ ほんと可愛い。身長いくつ?」


可愛い、だって。
その言葉が少しくすぐったくて、でもものすごく嬉しくて、また顔が赤くなる。


「ひゃ、百四十八です...」


小声でそう言うと、大斗先輩よりも要先輩の方が驚いたようで。
普段、無表情の彼だが驚きが隠せないらしい。


「小っさ...」

「そりゃ、要は百九十二センチあるじゃん」

「ひゃ、ひゃくきゅうじゅう!!?」


改めて見上げると、やはり高い(そして怖い)。
つり革を余裕で持てる彼が羨ましい。
十センチ位欲しいものだ。

呑気な話をしていると、さっきよりも大きな揺れが来てバランスを崩す。


「きゃっ」


その瞬間、長い腕に抱き寄せられる。
ふわっと心地の良い香りがした。


「大丈夫か」


要先輩だった。


「あっ、すすすすみません...!!」

「じっとしてろ。転ぶぞ」

「きゃー、要先輩かっこいー‼︎ 俺も助けてくださーい」

「大斗は黙ってろ」


ぎゅうぎゅうの空間の中、私は要先輩の腕の中で固まっていた。
鼓動が早まり、頭がまともに回転していない。
大斗先輩が、冗談交じりに要先輩にもたれかかる姿なんて視界に入らなかった。

もし、要先輩が心の中で「こいつほんとチビでバランス感覚無いやつだな」とか思われてたらどうしよう。
でも、今は偶然揺れたから助けてくれたけれど、本当は優しい人なのかな。
そもそも私の背が低過ぎて、彼が怖いっていうイメージで決めつけてただけなんだけれども。



ラッシュ地獄から抜け出し、バス停に向かう。
何かよく分からないけど、私は先輩二人の間に挟まれて歩いていた。
妙に緊張するのは私だけなんだろうけど。

バスを待っている間は、私と大斗先輩は話していたけれど、要先輩は一人で音楽を聴いていた。
やはりちょっとよく分からない。変わった人だ。


「要、何聴いてんの」


大斗先輩は片方のイヤホンを自分の耳につけた。
そういえば、彼らの音楽の好みを全く知らない。


「何聴いてるんですか?」

「ん、聴いてみる?」


すると大斗先輩は、私の片耳にそれをつける。
彼の手が耳に触れたので、ちょっとドキッとした。


「book numberの曲ですか?」

「あっ、園子ちゃん知ってるの?」

「はい‼︎ 大好きです‼︎」


まさか大斗先輩と趣味が合うなんて‼︎
と思ったのもつかの間。


「俺は普段、ハードロック聴くんだけどさ。要はこのバンド大好きなんだよねー」


早とちりでした。
二人で好きなバンドの話で盛り上がれると思ったのに‼︎

でも意外だった。
このバンドは、男女の恋愛を元にした歌詞が多くて、どちらかと言えば女性目線の歌が殆どだったから、要先輩みたいな人が聴くなんて(失礼)驚いた。
まあボーカルは男性だから、男女共に支持が多いのは知っていたのだけれど。


「良かったじゃん要。同じ趣味の子いて」

「えっ、book number好きな人いないんですか?」

「どちらかというと、ここの軽音部はハードロックを好む子が多くてさ。実際に俺もそうなんだけど」


何だ、趣味が合わないのか。
しゅんとしょげていると、大斗先輩がその様子に気づいたようで、私の頭を撫でながら、


「まあ俺らもあんま女の子の好きな音楽とか知らないからまた教えてよ。俺のお勧めのCDもまた貸すし」

「あ、ありがとうございます‼︎」


やったやった‼︎
やっぱり大斗先輩は優しい。
好きな音楽を好きな人と分かち合えるなんて嬉しい。
ついにやけてしまいそうなところへ、区切りよくバスが来て、一斉に乗る。

相変わらず揺れは酷くて酔ったけれど、朝からいいこと続きのお陰で気にならなかった。






バスから降りて、下駄箱で上履きに履き替えると、先輩とは棟が違うのでそこで一旦別れを告げた。


「いや、まさか朝から園子ちゃんに会うなんてねー。しかも音楽の趣味同じだったし良かったじゃん、要」

「あ、あぁ...」

「え、何。お前、珍しく顔真っ赤じゃん⁉︎」

「何でもない。ちょっと風邪引いただけだ」


「(まさか...)」


新しい関係の幕開けのようで。