レストランを出て、大宅さんはまた公園の方へ歩き出した。大きな交差点の横断歩道を渡る時、点滅し始めた歩行者信号に大宅さんは私の手をとって早口に「走るよ」と言って走り出し、横断歩道を渡りきったところで手を離した。
 「女同士でオカシイ」と言ったのは私の方だったけど、さっきはあんなに不機嫌そうに手を離したくせに、今度はまるで当たり前のようにその手を離されたことがどうしてだか私は気に入らなかった。
だけど、大宅さんは私のその気持ちには少しも気づかないようで、まっすぐ前を向いて、時折私を振り向きながら話の続きを手繰り寄せて話した。俯いてまるで目を瞑っているように見える横顔や私を振り向いた時に風に少し乱れる髪、その前髪をかきあげると見える額や目をこする時にずらす眼鏡越しに見える瞳──それまでこれほど誰かを見つめたことなどなかったと気づく。目に焼き付けるように、デッサンをする絵描きのように、私は熱心に話を聞いているそぶりで熱心に大宅さんを観察した。

 大宅さんが立ち止まったのは知らなければ通り過ぎてしまいような、歪んだ硝子が嵌め込まれた煤けた木の小さなドアの前だった。オレンジ色灯りが歪んだ硝子に揺れて、大宅さんはぐいっとそのドアを開け私を中に通した。
 カウンターの中には控えめに言っても少しばかり年の行った女性が少し目を見開くように私たちを見て、それからニコリと笑って、いらっしゃい、と言った。その笑顔は冷蔵庫から出てきたばかりのバターが温かいトーストの上で溶けて行くような笑顔だった。大宅さんは首を傾げるようにして会釈をして、こんにちは、とそのおばあさんに言って、目で素早く店内を見回すとドア側の角の席を指差して私をそこに導いた。

 席につくと氷をカラカラと鳴らしながらグラスを二つ運んできたおばあさんに大宅さんは
 「シロオウ、二つ。ください。」
 と、言った。何それ?と私が目顔で問うのとおばあさんが楽しそうに笑って、
 「あら、懐かしい。おやごさんに聞いたの?」
 と優しく問うのがほぼ同時だった。
 「はい。母に」
 と大宅さんは答えた。おばあさんは頷きながらカウンターの中に入って、かちゃかちゃと物音をさせながらその「シロオウ」を作り始めた。カウンターの中の物音はまるで、おばあさんの思い出し笑いのようだと私は思った。

 大宅さんのおかあさんは、若い頃によくこの店でスペシャルメニューのシロオウを頼んで美大の課題をやっていたという。大宅さんのおかあさんは、絵描きなの?と私が聞くと、「主婦だよ。今は。」と溜息をつくように言った。本当は少し興味があったのだけど、私はそれ以上を聞いてはいけない気がして、そして「大宅さんが、絵が上手なのはお母さん譲りなんだね」という言葉を飲み込んで、目の前で汗をかいていく水のグラスを紙ナプキンで拭った。大宅さんは塗料が剥げた椅子の上に乗せていた二つのビニールの袋を弄り始めた。