「橘君は、この会社に入社する前は何をしてたの? どんな仕事をしてたの?」
再び、彼に問い掛ける声が聴こえてくる。さっき『そろそろ車掌に』と問い掛けた先輩社員だ。
「就職したのは、こちらの会社が初めてです」
彼の涼しげな声に反して、皆の驚く様子が際立っていて面白い。私がさほど驚かずに居られるのは、隣りに落ち着き払った姫野さんがいるおかげ。
阪井室長と笠子主任も事前に知っていたからか、至って落ち着いた様子だ。二人で顔を見合わせて、笑みさえ浮かべる余裕ぶり。
「それまで、何をしてたの?」
「大学卒業して、すぐに留学していました」
「留学かあ……いいねえ、若いうちにしか出来ないからなあ」
「はい、そのまま就職するのが嫌だったので。三年間遊んできました」
「帰ってきて、どう? この会社に入って、社会人になって……、窮屈じゃない?」
「おかげさまで、ようやく慣れてきたところです」
彼の穏やかな笑顔と声に、皆の表情に滲んでいるのは羨望の色。卒業後すぐに留学するなんて、自由奔放でいい身分だと。
だけど本当は、どうなんだろう?

