「さあ? 知らないんじゃない?」
本当は橘さんも知ってるのに、わざとトボけてみせた。
これ以上、美波には話せない。
私だって、思い出したくないことなんだから。
「へえ、どうして今まで黙ってたのよ?」
美波の放った一言が、ずんと胸に響く。同時に閉じ込めていたことが、一気に溢れ出してくる。会議室での橘さんがフラッシュバック。
「だって、ゆっくり話す機会がなかったでしょ?」
必死で絞り出した声が上擦ってしまう。
幸い美波は何にも気づいていないようだ。
と思ってたら、
「ねえ、今から見に行かない? 橘さん、今日も駅勤務してるんでしょ?」
いきなり言い出す。
あまりの驚きに固まってしまった私の顔を、美波が心配そうに覗き込む。
「陽香里? どうしたの?」
「え? あ、橘さん? 見に行かなくても……、月曜には本社に来るよ?」
「だって、顔忘れたし見てみたいし」
「見なくてもいいよ……」
「そうだ、茜口駅の北側に美味しいケーキ屋さんがあるの、だから行こう、ね?」
必死の抵抗も虚しく、美波に押し切られてしまった。
こうなったら、橘さんがいないことを祈るしかあるまい。

