「ふざけんな!」

 限界だった。黙っていられなかった。
「そういうこと、勝手に決めるな!」
 母の両肩をつかんだ。強くつかんだ。
 つかまなければ離れてしまう。届かなくなってしまう。
 もう手遅れなのだろうか。父さんには二度と会えないのか?
 父さんは、僕に、さよならを言いにきたのか?

「僕をなんだと思ってる。息子だろ? 権利あるだろ? 僕は」
 ゆすった。母の頭がぐらぐらした。強くつかんだ肩を、さらにゆすった。

 いる。
 確かにいる。母はここにいる。母を揺さぶっているのは僕。
 ここにいる、僕。
 ここに。ここに。ここに!

「ルールだから、家族の決まりごとだから、美耶子サンなんて呼んでいたけど……!」
 必要なのか? なんのために?
 どうして僕らはこうなった?
 いつから僕らはこうなった?
「どこの世界に母親を名前で呼ばせる母親が……母……」
「春都……」
 手を離す。顔をそむける。
 絞りだした、声は、僕のもの。
「名字変わるかどうか、わからないだろ。僕には父さんだって、いる」
「え……?」
 家を出た。



「もしもし」
 ——はい。
「カンちゃん? 僕だけど……」
 ——悪い! ハル、これから塾の模試なんだ。あとでかけるから。
「ああ、そう……わかった……」
 ——悪いな! じゃ!
「……」

 自転車で走った。冷たい風のなか、全速で、突っ走った。
 身を切るような冷たい空気——いっそ僕を切り裂いてくれればいい。凍りついてしまえばいい。
 そしたら血も涙も流れない。
 
 僕のそばには誰もいない。