他の元クラスメイトは僕に連絡を寄越さなかった。
 気を遣ってくれたんだと思う。
 僕のほうからなにか言ってくるまで黙っているつもりだったんだ。
 カンちゃんがそうだった。

「やってくれるぜ井上健一郎。そのデリカシーのなさ、いい加減にどうにかしろよな」
 ちらりと僕を窺う気配があるも、僕は自宅アトリエで筆を休めることなく鋭意創作中だ。
「どうだ」
「どう、って」

 赤みが足りなくて色をパレットに落とす。
 ほんの少し欲しいだけ、加減が大事と気をつけたつもりが、混ぜすぎた。

「大丈夫か。愚痴をこぼしたいなら相手してやる」
「泣きたくなったよ」
 僕は筆を止めてパレットを遠ざけた。
 時計を見ると、時間経過のわりに進んでいない。


「うれしいとかそんなくくりじゃ間に合わない気持ちがぐるぐるしてる」

 ひとことで言い表せそうになかった。
 カンちゃんにしてみたら愚痴にしか聞こえないだろう。
 僕は丹念に自身の胸の内を探った。

 その名前をつけた度胸と信念、決めたら絶対譲らない意志の強さ。
 ずっとその名を呼び続けるのに、そう決めたってこと。
 呼ぶとき、なんの感情も湧き上がらないんだろうか。僕の名前と同じ発音なのに。
 そういったすべてを受け入れていくという先生の覚悟を見せられているみたいで、驚かされた。

 僕が話し終えても、カンちゃんはしばらくのあいだ無言だった。
「カンちゃんは違うことを思ったみたいだね。当ててみようか。実は僕のことが好きだったのに教師と生徒の関係だから言えなくて、生まれた子を僕の身代わりにしたんじゃないかと思ったんでしょ」
 クラスのみんなもそう思ったのかもしれないね、と言うと、
「委員長以外はな」
とすかさず返ってきたから笑った。
 すまん、とカンちゃんは謝った。

 画材を片づけた。
 母に冷蔵庫のなかの果物を食べるよう言われていた。
 カンちゃんがいてくれてちょうどよかった。
 ひとりだと果物なんて剥く気がしない。

「無花果あるけど食べる? とよみつひめ」
「もうそんな時期か」
「もうそんな時期だよ」