「背が伸びているから誰かと思いました」
 倉井先生は穏やかな笑みを僕に向けてきた。
 その刹那、もどかしく抱えていた想いがせきを切ったようにあふれ出てきた。
 自分でもびっくりするような勢いで止めようがなかった。
 ほとばしる気持ちのまま口走っていた。

「成長したのは身長だけじゃないよ。ずっと先生に会いたかったけど、会えなかった。勇気が出なくて。中学のときはガキだったから」
 ガキだったから無茶ができたんだ。

 ほんの数ヶ月前の話を遠い昔話のように言ったことに気づいて、笑われるんじゃないかと思ったけれど、倉井先生はそういう他の大人たちがやりそうなことはしなかった。
 ただ耳を傾けてくれた。


 春都くん、とレジを済ませたカズオミくんがこちらにやってきた。
「先生。こちらはカズオミくんといって、クラスが一緒で部活も同じ美術部なんだ。今日はそれで画材の買い出しに来たとこ」
 僕の紹介に合わせて、こんにちはとカズオミくんが挨拶をし、先生もこんにちはと返す。

「で、こちらは倉井先生。僕の中学の担任の先生。美術の」
 なんの気なしに同じ調子で続けていると、惣山くん、と珍しく倉井先生が話をさえぎってきた。
「はい?」
「石黒の姓になりました」

 え、という声がして、それが自分のものだと気づくのに少し時間がかかった。
 あ、そうなんですか、とか言った気もする。
 そのあいだに、お腹の膨らみにいち早く気づいたカズオミくんが、おめでとうございますなんですね、と如才なくかつ微妙な言い回しをして先生の笑顔を呼び寄せている。

「近くに甘味処があるので、よかったらご一緒できませんか。男ふたりじゃ入り辛くて困ってたところなんです。和スイーツならカロリーも低いから、妊婦さんにもいいでしょう?」

 僕の横から進み出たこの男はカズオミくんの皮を被った別人じゃないだろうか。
 よく回る口が強引に倉井先生を説き伏せて、純和風喫茶店まで来てしまった。
 甘味処というのはでまかせじゃなかったんだな、と店のまえに出ているメニューをなんとはなしに眺める僕に、カズオミくんはあとはよろしくと短くささやくと、
「すみません、僕のところバスの本数が少なくて、もう帰らないと。春都くんのこと、頼みます」
 じゃ、と漫画でしか見たことのない見事な立ち去りかたを披露してくれたのだった。