シュウ君がアキ君を抱えて、跳ぶように包丁から距離を取る。
先程までの甘い空気は一切ない。
刃物が降ってきたら警戒して当然だ。
北山君が無言で包丁を抜き、台所へ行く。
私は、北山君という盾を失ってしまった。
どうしよう、逃げる機会を失ってしまった………。
こんなことなら、北山君について行けばよかった。
でも、脚が、しびれて動けない……。
軽い水音を最後に、二人の唇が離れる。
二人を繋ぐ糸を切るように、大家さんは風紀委員長を平手打ちした。
「なっ、に、するんですかっ……皆さんの前でっ……」
「そうだな。お前のこんな顔、見るのは俺だけでいい」
野獣のようにニヤリと笑む風紀委員長を、大家さんは一瞬で背負い投げした。
「いってぇなぁ。俺じゃなかったら怪我してるぞ」
「うるさい、怪我してなさい」
「ハハッ、子供かよ」
受け身をとった風紀委員長にダメージはない。
すくっとその場にあぐらをかき、私たちをぐるりと見渡す。
「お前ら、ここの住人か? 俺のマンションに来ないか? ここより安く部屋を提供できるぜ」
「またそうやって、うちの店子を勧誘する!」
大家さんが風紀委員長の頭頂部をひっぱたく。
スパーン、といい音がしたが、風紀委員長は痛がるどころか嬉しそうだ。
「愛する大家さんの近くに、他の男を置いておけるかってやつですねわかります」
青木君は溢れ出る感情のまま涙を流していた。
「おい、そこの女、俺のマンションに来るだろ?」
指名されて、頭が真っ白になった。
なんでこっちに聞いてくるのっ。
「マンションだから、もちろん一人部屋だ。キッチン風呂トイレつき、今なら家具家電もついてくるぜ」
断るなんてありえないと言わんばかりである。
一見、高待遇ではあるが、私の答えは決まっている。
「……おおおおお、お断りします」
風紀委員長の視線が鋭くなった。
組んだ指に力を入れて、己を奮い立たせる。
張り付く喉を必死に震わせ、声を絞り出す。
「わ……私は、風花寮が好きですから………出ていきたくありません」
私なりに精一杯、風紀委員長を睨みつける。
てこでも動いてやるもんか。
「僕も出て行かないよ」
「りおちゃんが行かないならオレもー」
「ボクもっ、です」
「兄さんが行かないならボクも行かない」
「…………皆さん……」
他の住人の援護射撃を受け、大家さんが嬉しそうに微笑む。
「大家さんのごはんは美味しいし、双子や新カプも美味しいし」
「………青木さん………」
大家さんの微笑みが引き攣る。
「せっかく仲良くなれたのに、お別れなんて嫌です」
「ボクとしては別れてくれてもいいんだけど」
「シュウは黙ってて」
「マンションなんて行ったら、りおちゃんの部屋に突撃できなくなりそうだしね。今の方がいいよ」
打算はありつつも、皆、知らないマンションよりも、風花寮を選んだ。
「そういうわけだ。風紀委員長殿にはお引き取り願おうか」
台所からやってきた北山君の手には、これでもかと糸を引いたボウルいっぱいの納豆があった。
「ヒイイィィィィッ!!!」
「今日の昼ごはんは納豆巻きだ。食ってくか?」
「きょっ、今日のところはこれで勘弁してやる!」
さっきまでの威勢はどこへやら。
回れ右からの全力疾走だ。
壁に何度かぶつかってから、玄関の扉が閉まる音がする。
まさに、台風一過。
そして、この場にいるほとんどの者が思ったことだろう。
風紀委員長、納豆嫌いだったんだ………。