「グフッ……」

教室を一歩出たところで、首に閉塞感を覚えた。

「ここだと目立つ。ついて来い」

耳に不機嫌な中低音が吹き込まれる。
返事代わりに首に回る腕に手をかけるが、指を挟む隙間がない。
それならと掴める袖を引っ張るが苦しいまま。
その状態のままどこかに引きずられ、と言っても地に足ついていない気がして、引きずるという表現で正しいのか分かりかねるが。

周りは私の首を絞めるこの方が怖いのか、目をそらされ続ける。
確かに私も彼らと同じ状況ならそうするでしょうけど。
何が起こるかわからないところに連行されるこの恐怖を知ったら、助けようなんて気を……起こさないですよね。
余計関わりたくないですよね。
ええ、私もそうですとも。
せめて、助けを呼んでくれるとか。
私ならしないけど。

………助けは見込めないなぁ。

息を長く止めるには、他の事を考えると良いと思っていましたが、流石に限界が。
意識するな意識するなするなするな……。

扉を潜り、また次の扉を潜ったところで、解放された。

「げほげほっ……!」

咽せてからの、深呼吸。
臭くはないが、気持ちの良いものでもない。
放り込まれた先は、トイレの個室だった。
狭い個室に放り込んでくれた犯人と2人きり。
ちょうどトイレに来たかったところですわありがとう。
なんて冗談を言えるわけもなく。

「なんで、ボクがダメでアンタがいいんだよ」

第一声がこれだった。

「そんなこと言われましても、私はただ通りかかっただけでして」

「輪の中に入っておいて、通りかかっただけなんて言い訳通じると思うか?」

輪の外で盗み聞きしてましたつもりですが。
完全なる寄り道である。

ほらやっぱり、野次馬してもいいことなんてない。
言い訳は無理。
主に、目の前のブラコン弟が怖いせいで。
アキ君の側にいるのを禁止された腹いせですか。

それでも律儀に約束を守るのは、大家さんが怖いからかな。
さて、ここに来てからずっと気になっていたことがある。

「ここは、女子トイレですか?」

「男子トイレに決まってる」

「こんなところに女子を連れ込むなんて」

「ボク、女子トイレに入れないから」

私だって、男子トイレになんて入れない。
おかげで出る時を誤れば大惨事。

「どこか空き教室とか無かったのですか!」

「あるわけないじゃん。お前を連れ込む教室なんて」

アキ君を連れ込む教室はあるんですね。

「上の階の踊り場とか」

「階段って、結構声が響くんだよ」

「だったら校舎裏は?」

「誰かに見られて変な勘違いされたくない」

「トイレの方がまずいでしょう」

「ボクはこれっぽっちもまずくないね」

「女子を連れ込んだ自覚はおありですか?」

「他人に見られるようなヘマしてないよ。変態はお前ひとりだけ」

ご愁傷様と言い放つシュウ君は、悪魔以外の何者でもない。
ぺたぺたと、近づく足音。

「さぁ、助けを呼んでみろよ。できるもんならな」

「………」

さあやってみろ、できないだろうがな。
と、彼の顔に書いてある。

なまじ、顔がいいだけにトイレの個室という至近距離で向かい合っても耐えられないこともないが、すごく腹が立つ。
凶悪な表情もよくお似合いで。

だが彼の言う通り、助けを呼べはしないのだ。
唇を噛みしめて、目の前の奴を睨んでいると、足音がこのトイレに入る。
薄いドアを隔てた向こうに、男子がいる。
まずい、冷や汗が……。

バクバクと自身の心臓がうるさい。
もしかして、ボクに惚れちゃった?
とか、目の前で口パクされるけど、吊橋効果とか、言ってる場合じゃないんですよ!
つか、読み取れた自分も悲しい!

「キャーッ! なんで女子トイレに男子がはいってるのよ! 変態!」

「…………は?」

女子の悲鳴に、顔を顰めたシュウ君。

「え? なに? つまり?」

シュウ君入るトイレ間違えた?

つまり、私は、堂々とトイレを出れるというわけで。

「っしゃ!」

「おい待て!」

シュウ君の静止は無視。
鍵を外して扉を引き開ける。

「あ、ゆきちゃんいたー」

「…………なんで………………」

「りおちゃんが探してたから、迎えに来たよ」

キメ顔をする中島君の片手にスマホ。
その画面に映るのは、赤髪ツインテールの美少女絵。

「昔やってたギャルゲーのボイスだよん。まさかこんなことに使う日が来るとは思わなかったけどね」

だ………だまされた………。

つまりここは、男子トイレだった。

「今なら廊下誰もいないから出てきていいよ。……大丈夫、そこのブラコン弟のせいだって、僕らわかってるから」

「青木君!」

男子トイレの入り口を塞ぐように立つ青木君の背中が、なんと頼もしいことか。
教室に戻らない私を心配して、探しに来てくれたのでしょうか。
何にしても、助けに来てくれてありがとう。
今度、青木君が中島君に襲われそうになったらきっと助けるからね。

「ゆきちゃん、今何か失礼なこと考えてない?」

「中島君もありがとう」

「どういたしまして。お礼はりおちゃんでいいよ」

どういう意味でしょう。

深くつっこまないことにして、個室を出る。

「さあさあ早く教室に戻りましょうぞ。昼休みが終わってしまう」

青木君に手を引かれ、教室まで駆け出した。