俺たちは物心がつく前から一緒に過ごしていた。家が隣・親同士が仲良しという典型的な“幼馴染”だ。
 家族同然として育ったが、自分の中にある彼女への想いは“家族”に対するそれとは違っていた。俺がその事を自覚するのにさほど時間はかからなかった。
 あれは中学に入って間もない頃、放課後に男友達数人と談笑していた時のことだった。


『なあ、戸塚って可愛くね?』


 友人の一人が突然そう言った。慣れ親しんだ志帆の名を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。それは驚愕だけが原因ではない。もちろん驚きもしたが、それ以外の感情・大きく激しい想いが胸を圧迫していた。


『好きな奴とかいんのかなー』


 友人はニヤニヤとだらしのない顔で志帆の机を見つめた。もちろんそこに志帆の姿はない。だが、俺の脳裏には志帆のあの凛とした背中が映っていた。
まるで一輪挿しの花のようにシャンと伸びた背筋。長い髪。細い肩。
何故こんなにも鮮明に志帆の後ろ姿が頭に浮かぶのか。
それは、見ていたからだ。
授業中も休み時間も、俺は無意識に志帆の背を目で追っていた。だから志帆のいない机にも、志帆の面影を俺は見ることができたのだ。
 ドクドクと胸がうるさい。苛立ちにも似た感覚が体の底からこみ上げてくる。この気持ちは何だ--。そう自問した結果、答えはすぐに出た。いやらしい目で志帆を語る眼前の友人に、俺は憎しみとも呼べる嫉妬を覚えていたのだ。
 そんな顔で志帆の机を見るな。そんな目で志帆を語るな。お前が、志帆の名を口にするな。

『どうでもいいだろ』

 吐き捨てるようにそう答えた俺に、友人たちは一瞬ギョッとした。

『なんだよリュージ、何か怒ってんの?』

『は? 怒ってねーよ』

『いやいや、おかしいじゃんその態度。もしかしてお前、戸塚の事スキなんじゃね?』

 友人は冗談で言ったのだろう。しかし、俺には冗談では済まなかった。まさに核心をつかれたのだ。
 スキ、という単語が志帆の背中と重なる。その瞬間、俺は自分の顔が一気に紅潮するのがわかった。スキ、スキ。俺は、志帆が--。

『は!? バカじゃねーの!?』

 赤面する顔を友人に見られたくなくて、俺は大声を出し、乱暴に鞄をとって席を立った。友人の呼び声にも振り向かず、逃げるようにして教室を飛び出した俺はそのまま廊下を走り抜けた。
 逃亡者の気持ちで走っている最中、俺の脳裏には先ほどの友人の声が蘇っていた。

“戸塚って好きな奴とかいんのかな”

 ズキリと胸が痛んだ。いるのだろうか。志帆には好きな奴がいるのだろうか。俺が知らないうちに、誰かに恋をしているのだろうか--……。
 訊いてみたい。答えが知りたい。でも怖い。志帆の口から、俺以外の男の名が出るのが怖い。だって俺は、志帆が、


----好きだから。



 そうして俺の初恋は目覚めた。
 一度自覚してしまった恋から視線をそらすことはできない。それまでの“幼馴染の志帆”という概念はすっかり俺の中か消えてしまった。志帆を“好きな人”としか見られなくなってしまった。
 焦った。どうしよう、という気持ちでいっぱいになった。これまでの俺たちの関係が壊れるような気がして、恐怖さえ抱いた。
俺が志帆を好きだと自覚した時点でただの幼馴染という関係は俺自身の中では壊れていたが、志帆の中ではまだ壊れていない。俺は、志帆にとっては良き相談相手であり腐れ縁の友人であり、家族同然の幼馴染だ。それが壊れてしまったら、志帆はもう二度と俺に笑いかけてはくれないかもしれない。
それが怖かった。志帆に俺の想いが伝わってしまうのが、ひどく恐ろしかった。だから俺は隠すことを決めた。今まで通りの“幼馴染のリュージ”でいることを選んだ。必死だった。好きという気持ちを押し殺して志帆と話すのは苦痛すら感じたが、それでも必死に幼馴染を演じ続けた。志帆の笑顔を失いたくないがために--。
 だが、そんな俺の努力はある日突然砕かれる。





『あ、リュージ』


 ある日の放課後、たまたま帰り道で志帆と会った。志帆は弓道部に所属しているため、普段はもっと帰りが遅い。だから俺と帰路で遭遇することは滅多になかった。
 不意打ちで出くわしたため、俺は表情を“幼馴染”のものに出来ていなかった。志帆を見た瞬間にただの“恋する男”の顔になってしまっていた。ハッとし、急いでいつもの俺を演じる。


『よう。今日は部活はねーのかよ』


 声は裏返ってないか、ちゃんと幼馴染の顔を作れているか。俺はまるで初舞台に立つ役者にでもなったかのように緊張していた。


『今日は休みになった』


『へぇ』


 そこからしばらく沈黙が続いた。一秒一秒が永遠にも似た長さに感じ、俺の体に圧し掛かっていた。逃げ出したくても帰り道は同じ。家が隣同士なことをこんなにも恨んだことはなかった。
 自然と並んで歩いていたが、俺は一刻も早く志帆と別れたくて仕方が無かった。それでいて心のどこかでこの二人きりの時間がずっと続けばいいのに、等と都合のよいことも考えていた。
 夕焼けが志帆を照らしている。志帆の後ろには長い影ができ、ピタリと志帆の足にくっついていた。ふと、志帆には気づかれないように横顔を見つめる。そこで俺は今さらながらに思い知った。志帆と自分との身長差を。
 昔は志帆の方が少し大きかった。いつも俺を小さい小さいと馬鹿にし、悔しかったら背伸びでもすれば?と俺をからかっていた。そんな志帆が、いつの間にかこんなにも小さい。思い知る。改めて思い知る。志帆は、“女の子”なのだ。
 心臓が早鐘を打つ。女の子、と意識した途端、変な汗まで出てきた。沈黙は相変わらずで、俺は自分の心臓の音が志帆に聞こえてしまうのではないかと思った。
 黙々と歩き続け、やっと家が見えてきた時だった。


『ねえ、リュージ』


 急に志帆が足を止めた。振り返り、「え?」と答えた俺は次の瞬間硬直することになる。


『アンタさ、私のこと好きなの?』


 まさに言葉の弾丸だった。撃ち抜かれたのは俺の胸。思考が停止し、頭が真っ白になった。
 夕日を受け茜色に染まる志帆。ひどく美しいその姿は女神のようで、俺は女神からの尋問を受ける罪人の気分になった。
 白状してしまおうか。
 そんな想いが過ぎった。だが、もし志帆に拒絶されたら……。
 俺は虚偽の回答を女神に渡す道を選んだ。例えそれで罰せられようとも、志帆を失うよりはマシだ。


『ハハッ、お前なに言ってんだよ。俺がお前を好き? ありえねーだろ。俺ら幼馴染だぜ? 家族みたいなもん--』


『嘘』


 必死で演じた“幼馴染のリュージ”は志帆によってぶった切られた。ジッと見つめてくる瞳。視線が絡み合う。恥ずかしさと焦りで俺は思わず目を逸らした。


『私に嘘が通用すると思ってるの?』


『嘘じゃねーし。自惚れんなよ』


『じゃあ私のこと好きじゃないの?』


『当たり前だろ。お前のことなんか好きじゃねーよ』


 心にもない言葉を言うことがこれほどまでに悲しいとは、思わなかった。本当は好きなのに、好きじゃないと言わなければならない。好きなのに。好きなのに。……悲しい。悲しい。悲しい--。
 視線を斜め下に落としていた俺は、志帆が早くこの話題を終わらせてくれることを願った。しかし、


『こっちを見て』


 志帆は頑なだった。


『私の目を見て言って。好きじゃないって、ちゃんと目を見て言ってよ』






To be continued...