一般人令嬢は御曹司の婚約者

犬は御曹司には小さいが、猫はぴったりだった。

「ふっざけんなゲホゴホッ!」

「ほらほら、おとなしく寝てなさい。治りかけに油断は禁物」

私は御曹司を押し倒し、強制的にベッドに沈める。
抵抗して来ないのを確認して、手を離した。

「水とゼリーはここにあるし、好きに食べて良いから」

「じゃあ、水をくれ」

「……はい、どうぞ」

キャップを開けて差し出すと、御曹司は口を開けた。
起き上がる気配はない。

何のつもりかしら。
……あー、飲ませて欲しいのね。

「申し訳ないけど、今ストローが手元にないの。少し待ってもらえる?」

「バカか。このシチュエーションといったら、口移しに決まってるだろう」

口移し。
くぴっと口に含んだ水を、相手の口に直接入れる手法。
その場合、粘膜接触は避けられないわけで……。
は、恥ずかしい。

「そして、水が無くなって離れようとした唇を、頭を引き寄せ舌を差し込みディープキスに……」

「顔面に水をかけて欲しいか、そうか」

顔に集まりだした血液が怒りの形に変わった。

「おい、お前病人に何する気だ!」

「隆雄様は少々頭を冷やしたほうがよろしゅうございますわ」

「病人に水かけたら悪化する……」

「病人、そうでした病人でしたわね。精神の方の」

「俺は至って正常だ!」

とまあ、冗談はさておき。

「そんなに元気ならひとりで起き上がって飲めますね」

ぶすくれて、ゆっくりだが自力で起き上がった御曹司に、水の入ったペットボトルを持たせる。
飲んだ後、一気に半分ほど減ったそれを受け取り、キャップを閉めてサイドテーブルに置く。

「じゃぁ、私は何か作ってくるから、おとなしく寝ていてくださいね」

「変なもの食わせんじゃねーぞ」

「あんたじゃあるまいし。それに、私の料理の腕は一昨日見たでしょ」

御曹司作、炭きゅうりの目の前で。
私の調理した健康的な日本の夕食を。

「流石にプロには敵わないけど、人並み程度には作れる自信はあります」

料理経験は短くはない。

「大船に乗ったつもりでいなさい」

啖呵を切って部屋を後にする。

「……泥舟に乗った気分だ」

なんて、後ろのほうで御曹司が減らず口をたたいていた。