ぽてっと力なく落ちたきゅうり。
私はそれをそっとすくい上げる。

「ふぅ、こんなもんか」

御曹司は、かろうじて床に落ちなかったきゅうりのかけらだけを皿に入れ、コンロの上に置いた。

「つかねぇな、壊れてんじゃないのか?」

乗せただけで火が出るわけないでしょう。

「一応聞くけど、何してんの?」

「見て判んだろ、炒めるんだよ」

ガラスのお皿でなにさらす気じゃ!

私は棚からフライパンを引っ張ってきて、皿から移し変える。
手早く洗った落下きゅうりもフライパンに投入した。

「何すんだてめぇ!」

「それはこっちのセリフでしょう、炒めるならフライパンを使いなさい」

「落ちたものを俺に食わせる気か!」

そっちか。

「もったいないでしょうが」

「腹壊したらどうしてくれる!」

「人間そんなやわにできてないわ」

「俺はお前みたいにがさつじゃねぇんだよ!」

怒号一発。
それに呼応するように、盛大な腹の虫が鳴った。

瞬間、御曹司は顔を茹蛸のように真っ赤にする。
私は精一杯無表情を作った。

お腹の音が聞こえたから笑うなんて、小学生のようなことはしない。

たとえ相手が憎き御曹司だとしても。

「………さて、料理の続きといたしましょうか」

華麗にスルーし、先を促す。

「お、おう……」

御曹司もそれに乗り、料理を再開した。
これはこうして火をつけるんだと説明してやると、御曹司は初めからわかってたもんねと反抗。
火がついた瞬間派手に飛びのき、台に頭をぶつけていた。
今のは冗談だと強がってはいるが、おびえているのがまるわかりで、なんだかかわいそうになってきた。
心配で、目が離せない。

御曹司がどうなろうと構わないが、屋敷を一時的に預かる身として、屋敷を破壊されては困るからね。

苦労の末、ようやく完成したきゅうり炒め。
御曹司は初めこそ喜んでいたが、いざ食べるとなると、箸が止まる。
動くのが億劫だった私たちは、使用人の食堂で向かい合って夕食をとっていた。

「おい、犬。特別に俺の飯とお前の飯、交換してやるよ」

「いらない、そんな人間の食べ物とは思えないものなんて」

「そう言うな、この俺の手料理だぞ、俺のファンなら泣いて喜ぶ」

「そうですね、草薙に勝てない人が泣く泣く自身の食べ物を譲る図が容易に浮かびます」

御曹司の前には炭のようなきゅうり炒め。
私の前にはご飯に味噌汁、焼きにサラダという一般的な組み合わせ。
もちろん自作。

御曹司が私のおかずに箸を伸ばしてくるのを、脛を蹴って阻止する。
すると、彼の箸は宙で止まった。

「下流の祝前は料理人もいないんだな」

涙目でけなしているつもりか。

「世の母という存在は偉大で、料理洗濯掃除となんでもこなします」

生憎祝前のことなんて、私は一切知らない。