「そうか……」

それだけ言って、御曹司は静かに体を離した。
解放された私は体中に入っていた力を抜く。

「だったらお前に用はない。すぐにここから出ていけ」

背中を向けて言い放つ御曹司。

「……はい」

私はそれに従い、踵を返す。

………言いたいことは、いろいろあった。
けれど、朝まで忘れていた『必要最低限のみ口を開くように』という藤宮の言葉が邪魔をする。
御曹司のそばを離れることができて万々歳のはずなのに、寂しいと感じる。
この感情は、なに?

部屋の扉に手をかけたところで、頭上に影ができた。
その瞬間、一回り大きな手が私のそれに重なる。
振り向くと、私を囲うように扉を押さえる御曹司がいて。

「っ、どうして本当に出て行こうとするんだ!」

「……!」

悲しそうな顔で訴えてくるものだから、戸惑ってしまう。
え、さっき出て行けとおっしゃいましたよね。

「いつものお前なら、もっと反抗する、毒を吐く」

ぅっ……。
やめてくれ、罪悪感で胸が痛い。
ついうっかりを連発した黒歴史を掘り起こさないでくれ。
私はもう心を入れ替えて、御曹司に従順になると決めたんだ。

「それが今は、声を失った鳥じゃないか。おもしろくない」

……はい?
また意味の分からないたとえ方を。

「お前は俺の婚約者候補なんだ。だからもっと自信を持て」

御曹司の口から初めて『婚約者候補』という言葉を聞いた気がする。

「誰に何を吹き込まれたか知らないが、俺はお前のこと…………少しは気に入ってる」

最後のほうは蚊の鳴くようなものだったけど、やけに鮮明に聞こえた。

「もしそれが学校の奴なら、俺の力で黙らせてやる。祝前の奴だっていうなら、祝前を勘当されても、ペットとして雇ってやる」

だから、と、扉を押さえていた手を私の腰に回して引き寄せた。
ついでに顔を近づけてきて……。

「お前はお前のままでいろ」

耳に直接吹き込まれたかすれ気味のその声に、ゾクリと身体が震えた。

「ちょっとくらい反抗的なほうがいい」

従順な奴には飽きたんだと、御曹司は苦笑した。