「マスター……」

「なに?」

首が痛くなるほどに高いビルを見上げて、問いかけた。

「マスターって、今どこに勤めてるの?」

「んー、しがない貿易会社さ」

いやいや、謙遜しすぎでしょうに。
ここって、かなりの高級ホテルのはず。
だって、中に入ると広いエントランスに高い天井。
大きなシャンデリアが滝のように垂れ下がる。
初めてお目にかかるものばかりで挙動不審になってしまう。
庶民丸出し……。

幼い子を見るマスターの眼差しで目が覚めた。
おとなしい、いい子を装おう。
私の失態で、マスターの未来を閉ざすことはない。
無礼のないようにしなければ。

そう決意したにも関わらず、その数分後にはあっけなく崩れ去りそうになった。
エントランスだけに驚くべからず。
会場となるホールも豪奢な限りを尽くしていた。
かといって下品ではない、絶妙なバランスに作り手のセンスを感じる。
そこだけじゃなく、集まっている人達も一流と呼ばれるものばかり。

テレビでしか見たことのない著名人、なんとかって会社の社長がいっぱい。

「これはこれは宿院さん」

目線が激しく揺れていると、こちらに気付いた大きな会社の社長に話しかけられた。

「ご無沙汰しております」

それに臆することなく、マスターはにこやかに応える。
二、三言葉を交わしてから、唐突もなくマスターに話を振られた。

「こちら、私の娘です」

「そうでしたか、お初にお目にかかります」

私は頭が真っ白になった。
こんな大物を前に、なんて応えればいいのよ………。

気付けば、大会社の社長は会場の中央に戻っていた。

「よく頑張ったな」

マスターが頭を撫でて褒めてくれる。
どうやら、意識がないなりにやり過ごせたらしい。

ここ数分でげっそりやつれた気がする。

「マスター……」

「なに?」

ここではない、どこか遠くを見ながら、問いかけた。

「マスターってさ、何者なの?」

「んー、しがない親族経営の会社の社長さ」

やっぱり只者じゃなかった。
さらっと流したけど、社長って一番偉い人だよね。
ちいさな珈琲店のマスターがえらく出世したものです。
流石は親族経営の七光り。
なんて言ってみたり。
口には出さないよ。
マスターは実力あるひとだもん。