ふた月前まで住んでいたアパートは、あんなことがあった後なので住めない。
なので、マスターと広めのマンションに引越し、一緒に暮らしている。

久々の学校から帰ると、マスターは仕立てのいいスーツに着替えていた。

「ただいま」

「おかえりー。学校はどうだった?」

「楽しかったよ」

昔のように、心配させまいと無理して言ったわけではない。
今回のは本心からの言葉だ。

「………そっか」

マスターは私がいじめられていたことを知っていたと思う。
だから、今回は目に見えてほっとしていた。
祝前麻里奈として生活していた体験は、無駄じゃない。

あの時無理やり連れ戻したりせず、どうしようもない時に手を差し伸べてくれた。
その日から、いつでも私を見守ってくれている、いいお父さんだと思うようになったのだ。

でも、お父さんなどと呼ぶのは恥ずかしく、今でもマスター呼びなんだけど。

そうそう、マスターといえば。
今では珈琲店をたたみ、サラリーマンをしているらしい。
おいしかったのに、何でやめちゃったのかと訊いたら、ネコが死んだからとのこと。
破産したんじゃなかったんだ、と、なんとも失礼なことを思ってしまった。
でもそっか、ネコちゃんいなくなっちゃったんだ。

「……これから仕事?」

暗くなってしまった空気を振り払うように話題を振る。

「ああ、パーティーに呼ばれてるんだ」

「じゃあ、夕食はいらないのね?」

「何言ってるんだい、一緒に行くんだよ」

ハンガーにかけてある薄桃色のパーティードレスを指し、マスターが言う。

「仕事でしょ」

「いいんだよ、家族同伴だからな」

家族と言われてくすぐったい気持ちになった。

「じゃあ、一緒に行かせてもらうね。ありがとう」

私はパーティードレスを持って自室に行く。
着替えて、髪を整えて軽くメイクもした。
鏡で全身チェックしてみる。
なんとか様になっているようだ。

「準備出来たなら行こうか」

「はいっ」

マスターにエスコートされ、マンションの前に停められた車に乗り込む。

サラリーマンが呼ばれるパーティーだ。
ごく身内でやるようなものだと思い込んでいた。

だから、会場についてから、どうしてあのとき詳しく聞いていなかったのかと後悔することになる。