聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~はじまりの詩~

「カイとやら、ずいぶんと拗ねてるじゃないか」

いつの間にか、ジョルデがカイのすぐそばまで歩み寄って来ていた。

「拗ねる?」

カイはいらいらしていたので、つい語尾がきつくなる。

「妹をシアにとられて嫉妬しているのか?」

「…違います」

それだけであればどんなにかよかったろう。

「お弟子さんは放っておいて大丈夫なのですか。火打石も…まだ使えないと、本人が言っていましたが」

「ああ、大丈夫さ」

カイはシアとジョルデという人物が不思議でならなかった。

シアは、自分並みに旅に不慣れで、様々なことができずにいるようなのに、底なしに明るい。

ジョルデは、そんなシアを見守るだけで、特別何か手を貸すようなこともせず、放任している。

師匠と弟子という間柄で、それはおかしいのではないだろうか?

少なくとも、自分はシアやジョルデのようには楽天的でいられない。

リュティアの恋を前にして、余裕など見せることができない…。

「あんなに明るくいられるなんて…苦しむことなど、何もないのでしょうね…」

シアを見ながら独り言のようにつぶやいたカイに、ジョルデが片眉をはねあげる。

「それは違うよ。私にもシアにも、抱えているものぐらいある。知りたいかい?」

「…いえ、けっこうです」

カイとて普段であればこんなひねくれた受け答えはしない。

だが状況が状況だ。カイの長年積み上げた想いは、あまりにも強すぎたのだ。

ジョルデはそんなカイの様子を気にするふうでもなく、からりと破顔した。

「お前を見ていると、昔の主人を思い出すよ」

「…ご結婚されているんですね」

「まあな」

「お幸せそうで何よりです」

そんな羨ましい話はこれ以上聞きたくなくて、カイは立ち上がった。ジョルデも別に追いかけてこようとはしなかった。

ただ、カイが腰にさげている黄金づくりの剣と、ジョルデの目線がぴったり合ったので、戯れに手を伸ばしたようだった。

「…前々から思っていたが、見事な剣だな。……っ!?」

その時ジョルデの手が何かに弾かれたように引っ込んだのを、カイは見ていなかった。





平和な隊商のもとに、忍び寄る影があった。

ひっそりと息を潜め、暗がりから赤い角をのぞかせる狼に似た一匹の獣…。

しかしその獣が獲物めがけて跳躍しようとした瞬間、鋭い斧の一撃が、獣の両目をえぐった。

「キュイィィン!!」

どんな武器も効かぬといわれる魔月なれど、目だけは別だ。目をやられては、逃げ去るよりほかはない。だがその弱点を魔月たちは熟知しているので、俊敏に動き回り、生半可な攻撃で目をやられることは決してない。生半可な攻撃では。それをあっさりとやってのけたこの人影が身にまとう色は、赤。

燃え盛る炎のような、赤であった。