その日の夜はざわざわと葉擦れの音がどうしようもなく不安をかきたてる夜だった。

空には夜の女神が薄絹のヴェールを広げたような満天の星々がきらめいているが、黒雲がじわりじわりと広がりそれを覆い隠そうとしていた。空の頂で輝く月は、血を吸ったように赤みを帯びて妖しくリュティアたちを見下ろしている。

カイが一時間もかけてやっと起こした火を囲み、二人は星の石版をみつめていた。

「ほかに、石版から読み取れる部分はないのか」

「…マリアさんを助けるときに読み上げた部分だけです。そこから先は…どうしてもわかりません」

「聖乙女(リル・ファーレ)でもそれしか読めないとは…。どうすれば読めるようになるというんだろう」

「…わかりません」

答えながらリュティアは虚空に落ちつかなげに視線をさまよわせた。そこには焚火の炎をゆらりと揺るがす重く淀んだ風以外、何もない。風は炎を越えてリュティアの黒く染めた髪をなぶりながら、何かを重くまとわりつかせるようにゆっくりと流れていく。

それきり、会話は途絶えた。

二人の胸には言い知れぬ不安があった。

その不安を上回る恐怖もあった。

それを互いにわかっていた。

わかっていたが、それを口にするのははばかられた。

口にすれば、それが現実になってしまうかもしれない、そんな気持ちでいたからだった。そんな二人をあざ笑うかのように、邪悪な気配は強く、すばやく、二人に向かって近づいてきていた。二人は内心それに気づいていても、どうにもできないでいた。逃げなければ。そうわかってはいる。しかし、どこに逃げていいものか、まったく見当もつかないのだ。

カイが剣の柄から手を離さない。

リュティアは石版を袋にしまい、腰を浮かせる。

「カイ…!」

リュティアがあまりの不安に悲鳴のように呼び掛けた時、突然焚火がふっと掻き消えた。そしてどしん、どしんと大地を揺らす足音が聞こえた。はじめ遠雷のように響いていたそれは、二人がはっと身を固くする間に地震波のように速度を増して間近まで迫ってきた。

葉が揺れ鳥たちははばたき枝が高い音を立てて鳴った。

…近い!

二人のすぐそばの木と木の間、闇の中に二つの赤い目がぎらりと光った。

リュティアとカイの悲鳴を、けたたましい咆哮がかき消した。

―ケシャァァァァァッ!!

轟音と共に巨木が何本もなぎ倒され、月明かりの中“それ”は姿を現した。

長く強靭な尾、太い鉤爪、巨大な頭部には真紅の角と牙―全身大地の色の鱗で覆われた体は人の背丈の三倍は大きく、赤い瞳は凶悪で猛々しかった。

“それ”は竜―お伽噺の中の魔月、四竜のうちの一匹“地竜”としか言いようのない生き物だった。