一番上はシャルリーヌお姉さま、二番目のセレ姉さまの本名はセレスティーヌ、三番目はアンジェリーヌお姉さま、四番目はブランディーヌお姉さまで五番目がカロリーヌお姉さま。
 現在シルヴィ様のご両親は魔界にいるそうで、人間界に残っているのはシルヴィ様たち六人と、お城の管理や彼らの世話を任せられている執事やメイドたちが十数人。
 アズナヴール家が所有しているのはお城が建っているこの山…いくつか連なっているように見えるんだけど、その全てが所有領だそうで、動物たちを放牧しながら飼っているのは向かって左手の山、オールシーズン楽しめる果実畑は向かって右手の山、お城の敷地内には巨大迷路のような大庭園が裏手に広がり、前面には広くなだらかな草原が広がっていた。
 一番の疑問はどうやってこの広大すぎる敷地を移動するんだろう。
 動物の世話をして畑仕事も、なんて考えたらとても一日の中で終わらせるのは不可能だ。
 なにしろ移動だけで数日かかりそうな場所だもの。
 どうしたらいいのかしら。
 なんて心配していたけれど、全然問題ないらしい。
 「飛んでいくから」って。
 そもそもこんなに広大な土地を持っていて、居住区域であるお城の敷地だって常識の範囲を超えているのに、働いている人数が極端に少なすぎるのは不自然。
 でも全く問題ないのはつまり、アズナヴール家の家族も使用人たちも、全員が「魔族」だから。だそうです。
 うーん「魔族」と「魔物」の違いからしてよく分からないんだけど、一体どう違うのかしら。
「そうね、まずはそこからちゃんと説明した方がいいわよね」
 まるで自然に私の心を読み取って、シルヴィ様が言う。
 だんだん私も慣れてきた。
 思考を丸々読み取られるというのは、なかなか便利だったりもする。
 言葉に出来ない微妙な感情や、いくつもの感情が入り組んだときなどはそれをシルヴィ様が直接感じ取ってくれるということだから。
 シルヴィ様は敷地や建物の大きさに圧倒されている私を気遣って、ここ、比較的こじんまりした彼専用のダイニングに案内してくれて、美味しい紅茶とお菓子を用意してくれた。
 おかげであまり萎縮せずに済んだ私は、こうして落ち着いて彼の話に耳を傾けられるというわけで「何が何だか分からない」という状況を少しでも解消しようと、彼にレクチャーをお願いしたのだ。
 シルヴィ様は細長い指でティーカップを持ち、こくりと一口飲んでから話を続けた。
 私に出されたのと同じ高級紅茶かと思っていたのだけれど、彼に用意されたのは柘榴ジュース。
 ワインを味わうように舌の上で転がして、それから「んー、美味しい」と飲み下す。
「魔族っていうのは魔界における貴族たちのことよ。高い魔力と知能を持ち、社会生活を営んでいる者の事を言うの。魔物はその逆。魔力も低ければ知能も低い、ほとんど本能に従って生きている低俗な者たち。社会生活を営むことはできないわ。そうね、人間界で言ったらハイエナを思い浮かべてもらうと分かり易いかも」
「本能で狩りをして、生きるために群れで行動する…ってことは、ある程度の知能はあるけれどほぼ動物と同程度ということ?」
「ええ。ここへ来る途中、馬車へ攻撃を仕掛けてきたのはそういう奴らよ。本能でハニーちゃんの香りを嗅ぎ取って、アナタを餌にするために飛び込んで来たの。つまり「狩り」ね」
 狩りだの餌だの、何て物騒なの。
 大体私の香りって何?
 香水なんてつけていないし、きっと入浴後の石鹸の香りがするだけよ。
 それが魔物にとっていい香りなの?
「違うわ。彼らが感じているのは石鹸の清楚な香りなんかじゃない」
「自覚がないのは当然だが、ハニー、君の香りは魔界に生きるすべての者にとって危険な甘い誘惑なのだよ」
「誘惑?」
「ハニーちゃんは魔界にとって千年に一度の「鍵(キー)」なの」
 そう言ったシルヴィ様は少しも笑っていなかった。
 冷静で淡々としていて、心底真剣な視線をこちらに向けてくる。
 瞳の奥の濃い紫が、鮮やかに煌めいている。
 「魔族」の、瞳。
「見て。分かるでしょう?理性あるアタシたちでもこうなってしまう。瞳の色が鮮やかになるのは、アタシの細胞がアナタの香りに反応して、魔族の血を騒がせるからなの」
 紫色の瞳は一層光をまして、万華鏡のようにきらきら揺らめく。
 じっと見つめられていると吸い込まれてしまいそうな、不思議な光。
 彼の隣で様子を見守っているセレお姉さまもグレーの瞳に強い光を宿していた。
 二人の瞳を見つめる私に微笑んで、彼らは変わらず優雅な仕草でカップの中の柘榴ジュースを口にする。
 あ…光が和らいだみたい。
「よく気付いたわね。これはアタシたちにとって吸血衝動を抑えてくれる、魔法の飲み物なの」
「私とシルヴィはヴァンパイアだから、吸血する代わりにこれを毎日飲むんだ。そうすれば人間から血をもらわずとも生活できる」
「でも膨大な魔力が必要な時はどうしても血が必要になるの。ヴァンパイアにとって体力も魔力も安定させる正しい栄養源は血液だから。柘榴ジュースはあくまでも「人として」生きるためのもの。魔族として生きるには血が、それも女性の血液が最適」
「じゃあ吸血鬼伝説も少しは本当なのね?」
「そうね。生娘の血、だったかしら。確かにそれが美味であることは間違いないと思うけど…アナタの血とは比べ物にならない」
「だから魔物は私を狙っているの?」
 美味しい匂いがするから?
「うーん、そうね、アナタにとっては残念なことだと思うけど、血液だけじゃないの。アナタの全てがアタシたちにとって至高の宝なのよ」
「涙の一滴、血のひと雫、髪の一本、爪の先まで余すところなく、君は我々の妙薬にも媚薬にもなる。ただし、力の弱い者にとっては即効性のある毒にも成り得るだろう」
 セレお姉さまの白い指先が、つ、と私の頬をなぞる。
 途端に背筋がビクついてしまう。
 彼女の指先に敵意はなく、むしろ好意が強いおかげで恐怖はない。
 けれどもしこれが他の「魔族」の指だったら。
 ここにいるのがシルヴィ様たちアズナヴール家の人々でなかったなら。
 妙薬として取り込んだ人の血肉になるか、毒として利用されるか。
 そうして私の命はとっくに潰えていたかもしれないってこと…?
「分からないけど、もっと苦しい、死んだ方がマシだと思うくらいの生き地獄を味わうことになったかもしれないわ」
「どうして…?」
 得体の知れない寒気に肌が泡立つ。
 震えそうになる私の手を、彼の手がぐっと包み込んだ。
「千年に一度現れる鍵(キー)を花嫁にした者が次期魔王として君臨する、それが魔界の掟。だからどんな手段を使ってもアナタを我が物にしようとしている奴らがいるの。虎視眈々とアナタを狙ってる。鍵(キー)は25歳の満月の夜に、魔界全土にその魅惑の香りを漂わせて存在を知らせるわ。だから即座にアタシたちが動き出したの。アナタを守るために」
 力強い言葉と視線、それは信用するに値するものだけど…一体どうやって一番に助け出せたの?
 ほんの少し遅れたら、私は今ここにいない。
 無事でいられたかどうかも分からない。
 どうしてシルヴィ様は…
「運命の相手だから」