小倉池の小道をまっすぐに行くと小倉山の麓、
秋の紅葉で有名な常寂光寺に突き当たります。

そこを右手にたらたらを下るとすぐに視界が開けて
一畝ほどの稲田。今は水もなく稲株が広がっています。

落柿舎から去来の墓を経て木漏れ日杉木立の中を
二尊院の大きな馬止めの角を左に曲がると
祇王寺への石畳に出ます。道幅は狭まり心持上り坂。

小倉山裾が間近に迫り右手鳥居本の山すそも迫ってきます。
さらに道幅は狭まり坂がきつくなります。

この先行き着くところ、そこが化野(あだしの)です。
平安の人々は死人をここに運びました。当時火葬は稀です。

風葬の死体捨て場、両山裾の迫りくる奥の岩壁。烏が群れ
ています。今はトンネルがあって清滝へとすぐに抜けられますが
いまでも切り立つ急こう配の峠岩壁がトンネルわきから登れます。

あだしのはまさに平安人の死体捨て場だったのです。
この入り口にあたるちょっとした平らかなところに
八体の地蔵があります。ちょうど寂庵さんの上手あたりです。

今は駐車場になってますが。この辺りまで荷車や
肩に担いで死人は運ばれ、家族との最後の別れを
ここでしたと思われます。

源氏の庵はまさにこの辺り、寂庵さんの下手あたり
にあったのではないでしょうか。

今は昔平安のころ、年老いた源氏は従者惟光とともに
この地に移り住みます。老いたる源氏は毎日法華経を唱え
方便品も寿量品も諳(そら)んじています。
目はもうほとんど見えません。

惟光は薪を割っています。賄(まかない)の老婆が
おぜん立てをしています。耳を澄ますと
聞こえてきます。年は老いても声は昔とちっとも変りません、
艶(つや)のある若々しい声です。