「まず京を離れて受領になり明石行きを決心された。そこは
縁者も多く海の幸山の幸も豊富で受領としての身入りも多い
ところじゃった。上に気を使うものもなく財の限りを尽くして
京に負けずとも劣らぬ御殿も作られた」

「負けず嫌い?」
「それもあるが実はこれすべて大明神のお告げと言うとった。ところ
がなかなか子ができぬ。やっとの思いでお生まれになったのが母君じゃ。
うれしさのあまり数々の財を整えてお礼参りをされた。するとすぐさま
お告げが出た。この姫は天皇の后になるお方と」

「まことですか?」
「まことまこと!何度も耳にタコができるほどきいた。そのお告げ
を聞いた入道殿は、その頃はまだ入道ではなかったがの、この姫を何
とかせねばと磨きに磨きそれはそれは下にも置かぬ御教育をされた」

「よく存じております。私にもへりくだりいつも敬語を使われます
ので母に聞くまでは何と不思議なお方、じいと思っておりました」
「そうじゃろうのう。実の父が幼い娘に臣下のごとくへりくだるの
じゃから、皆不思議がったろうな。母上は?」

「みんなに話しても誰も信じてはもらえないだろうからとひたすら
父を信じていたようです。受領の娘が皇后になんて誰が信じましょう」

「確かにそうじゃ。だから申すのじゃ、入道殿の一念じゃと。不思議
なことはもっとある。須磨に大嵐が吹いたとき父上桐壷帝の霊が現れて
須磨を離れよ西へ行けと申された。ところがその時入道はまたも大明神
のお告げが出て嵐の中を須磨ヘ向かえと言われたそうじゃ」

「大嵐の中をですか?」
「これも何度も聞いた。當に嵐の中を、その時さっと風がやみ光まで
さして海は穏やか、漕ぎ出でた小舟に入道殿の大きな屋形船が近づい
てきた。ところがじゃ、明石に着くころには一転にわかに掻き曇り
又も大嵐になったのじゃ。不思議な出来事じゃった」

「そうだったのですか」
「當にこのお方こそとの一念じゃ。わしもさらに驚いた。こんな片田舎に
京にも勝る姫君が居られたからじゃ。今でもそうじゃがそうは思わぬか
母上を?」
「京にも勝る?」

「そのとおりじゃ。京にも勝る、がその頃京には疫病がはやり兄朱雀帝
も眼病を患って世が乱れかかっておった。今度は帝の枕元に桐壷帝の幻
が現れ、これも後からじかに聞いたことじゃが、源氏を呼び戻せと叫ん
だそうじゃ」

「母上は?」
「そこよ。身重の母上を残しては行けぬ、といって謹慎の身でありながら
女を連れて帰って来れば、都人の目も厳しかろう。そこで泣く泣く一人で
帰った」
「泣く泣く?ほんとに?」
「本当じゃ」
照れ隠しに源氏はここで白湯をがぶりと飲み干します。