秋の初めは晴れたり曇ったり大雨風が吹いたり、
嵯峨野の空はとても忙しくなります。

雲隠庵の畑には里芋、紫蘇(しそ)、なす、木瓜、隠元、無花果(いちじく)、
石榴(ざくろ)、栗、柿、橙(だいだい)などが植わっています。

惟光が毎日こまめに手入れをしています。烏を追い払うのが大変です。
今朝はなすと無花果をざるいっぱい抱えてきました。

「よいしょっと。どなたかお見えのようです見てまいります」
お市が置かれたざるから一つ一つ手に取って見極めています。
惟光が戻ってきました。

「八葉の御紋車、明石の中宮様のおこしでございます!」
源氏とお市は大急ぎで上品な芋麻(ちょま)の作務衣に着替えます。

やがて若苗色の小袿(こうちぎ)、白檀扇を手に明石の中宮が現れます。
素晴らしい香りが庵いっぱいに広がります。

「ああよい香りじゃ。これは橘?」
「花散る里は橘の香り、明石にございます」
「ああよう来たなあ。どうじゃ母上の具合は?」
「ええ、元気になられて若宮を乳母と取り合っておられます」
「そうかそうか。入道殿はやはり行方知れず?」

二人は膳を囲んで差し向かい、実の父娘なのですが、幼いころに実の母
明石のお方と八年間も引き離されてそれが心のしこりとなって、どうも
しっくりといきません。何とかわだかまりを無くそうと努力しています。

「おじいさまは私が皇子を生むのを見届けて『これですべてわしがこの世
でやるべきことは終わった』そう申して山にこもられました」
「行方は?」

「『わしのことは絶対に捜すでない』との厳命でしたので」
「そうか。ほんとに潔いお方だったのう、気風(きっぷ)の良い男気の方じゃ」
「とても怖いお方だと思っておりましたが、若宮が生まれてからはもう」
「でかしたでかしたよくやったじゃろ。それはようわかる」

焼きなすのいい香りが漂ってきます。若菜粥と隠元の煮物が出てきます。
明石の中宮は手元の徳利を持って盃に注ぐと徳利を置いて、
「父上どうぞお酒を」
やさしく父の手に盃を添えにじり寄ります。
実の娘とはいえ成熟した女性(にょしょう)の匂い華に源氏はときめきます。