物心付いたときには、1ヶ月に一度の通院は当たり前のこととして認識していた。
その理由を知ったのは、小学校高学年のときに入院を経験してからだけれど。

「ケンボウショウの一種」、と告げられたその日、わたしは聞き慣れないその言葉に内心ただ首を傾げるだけで。真面目そうな表情の医者から報告される検査結果などの説明も、どこか他人事のようで頭にすんなりと入っては来なかった。

そうして深刻な顔をした両親や場の雰囲気には似つかわしくないどこかふわふわとした気分のまま年月は経ち、わたしの中で「ケンボウショウ」が「健忘症」と漢字変換されて、自分が記憶を失っているということを理解する頃、わたしは中学2年生という思春期真っ只中になっていた。
とはいっても、その頃はもう病室で目覚め病室で眠りにつく生活が日常と化していたために、学校に行くどころか制服すら着た事のないというなんとも奇妙な女子中学生ではあったけれど。

徐々に抜け落ちていく記憶を実感するようになり、また、人と違うことにコンプレックスを抱き、それが次第に苛立ちとなり。親や医者にまで反抗的な態度をとっていたそんなとき、出会ったのが、彼だった。


『荒川 悠さん!』

「…はい?」

『日向 尊(たける)です!
友達になってくださいっ!』


満面の笑みで初対面の人に一輪の向日葵を差し出しながら友達申請をするというのは、今思えばすごいことだと思う。

当時、生まれ持った人見知りに加え人に不信感を抱いていたわたしは、始め、彼をも冷たく突き放した。どこからどうみても「普通」で健康に生きている人間への嫉妬とそこから来る嫌悪のせいもあったと思う。なによりわたしは、病人扱いされることが嫌いだった。

でも彼は、わたしを病人としては見ていないようで、それどころか病気の話題にはさほど興味がないようですらあった。
何回と会いに来るうちに少しずつながらまともな会話をするようになり、次第にお互いのことを知る機会も増えた。

友達の見舞いで病院に来たという彼は、友達が退院してからも1週間に1度はわたしの病室のドアをノックして、笑顔でわたしの名を呼び駆け寄ってくる、そんな人懐っこい人だった。

そしてそんな彼と親しくなるわたしの様子に比例するように病気は進行し、わたしの記憶はポロポロと、剥がれ落ちるようにわたしの脳から消えていった。

…というのも、今までつけてきた日記を頼りに得た情報で、わたし自身の記憶から引っ張り出してきたものではない。引っ張り出すほどの記憶が、きっとわたしにはもう無くなってしまった。

そんな今日。彼との出会いから、早五年が過ぎようとしていた。