あれから1年。

ようやく…ようやくお屋敷へ帰れると思っていたのに。

望月さんは、去ってしまう。

私を本物のお嬢様にしてくれると言った張本人のくせに。

いいえ、そんな恨み言言いたいんじゃなく。

きちんとお礼を。

お嬢様らしく笑顔で見送ろう。

そう、飛行機の中で誓った。



サロンへと続く小路の、その途中。
懐かしい彼がいた。

『望月さーーーーん!』

私、きっと今とってもはしたない。
こんなに大声をあげて、スカートの裾を乱して走って。絶対、ママならこんなことはしない。
ほら、望月さんだって驚いた顔をして見ている。

『お嬢様!?これはこれはお出迎えもできずとんだ失礼を。ひとまず…お帰りなさいませ』

『望月さんが…旅立ってしまうと聞いて。いてもたってもいられず、文字通り飛んできちゃいました』

息切れしてうまく喋れない。
けど、できるだけ笑顔で。
でなきゃ泣いてしまいそうだから。

『一言、お礼が言いたくて。去年の滞在中、本当に楽しかったです。お世話をしてくれてありがとう。最高のお嬢様ごっこ、でした。実は次の春から日本の大学に通うことになり、こちらのお屋敷でお世話になることになっていたのですけれど…望月さんがいらしゃらないなんて…残念です』

『もったいないお言葉でございます。それだけで報われる思いです。私も、貴女の近くでお仕えしとうございました。ですがどうぞ、お屋敷を離れることをお許しください。私は未熟者ゆえ、もっと広い世界へ出て、学びたいことが沢山ございます。しかしながら御約束致します…いつかまたお屋敷に戻ってくることを』

『本当に…?』

『ええ。きっと、貴女が一人前のレディーになられた頃に。ですからときはお嬢様、貴女も笑って見送ってくださいませ。当家のお嬢様たるお方が、たかが使用人ごときのために泣いてはなりません』

『私、泣いてなんかっ…』

『嘘を仰っても無駄でございます。この望月にはお見通しなのですよ』

つ、と延べられた指先が頬をなでる。
雫の跡を伝うように。
初めて名前を呼んでくれたこと…嬉しいはずなのに、なんだかくすぐったいような変な気持ち。

喉がひきつるように痛んで、うまく声になりそうもない。やっぱりかなわないんだ、このひとには。

本当は泣きたかった。
けど、それじゃあダメだと、このひとの寂しげな笑顔が言っている。

『私、誰よりも素敵なお嬢様になってみせます。そうしたら一曲、踊ってくださる?』

ありったけの笑顔で。
蝶のように花のように、麗しく。
私にできる、精一杯で。

一瞬だけハッとした表情をした望月さんは、でもすぐに使用人の顔になる。

『もちろんでございます。では…約束事の証としてどうかこれをお預かりください。私がまた戻って参ります日まで』

手渡されたそれは。
サファイアが光る、蝶々の胸飾り。


初めて逢った日のこと…
あなたは覚えているかしら?
蝶々が飛び立って。
あなたが現れた。

そして。

蝶々を置いて…あなたは旅立ってゆく。

『次にお帰りなさいを言うのは私ね。待っているわ。』

麗らかな春。
一匹の揚羽蝶がふわり、優雅に羽ばたいていった。